僕はこの作品を読んだ時の満足感をよく覚えている。
決してポジティブな気分の読後感ではなかったが、良い作品に出会ったと満足したのだ。

演劇の世界は僕の知らない世界ではあるが、日々の精進ではどうにもならない、生まれ持ったものに左右されるものだと思う。
「累」ではルックスにおいてそれを投げかけていたが、声だったり身長だったり、もっと根本的なところで言えば性別も関わってくるだろう。
なりたくてもなれない者に成り代わる――、その物語に演劇という背景はベストマッチしていた。

口紅というアイテムがそのリアルと仮初を切り分けるポイントとなっているのもお手本のような作り方で、何度も入れ替わる内に周囲の区別がつかなくなったり(それは母親だったか?ウーン今度また読み直そう)、逆に近しい人だけが違いに気付いてその事実と周囲に挟まれ病んだり……と、僕のようなペンペン草クリエイターでは思いつく限りのギミックを全部入れられてしまったというぐらい、その描写は丁寧で芸が広い。
周りのキャラクターにもしっかり役割があり、途中離脱してしまう本物のニナなんかもラストまで間接的に関与していて、誰もが余すことなく活かされている。
主人公・累の家系周りは入れ替わりもあって結構複雑なのだが、累の母親が入れ替わっていた人の子である野菊の登場後の動機とそれまでのエグい生い立ちにも破綻がなくて、恐ろしいながらも強く共感してしまう。
現代の入れ替わり作品として最高峰のストーリーだと思う。

基本的に誰も幸せにならないのだけが読んでいて辛いのだが、救いがないことが救いな気もしてくる。
突然昏睡する持病を抱えるニナは自力でのし上がれたとて遅かれ早かれ同じ結末を辿ると思うし、演劇部の部長も殆どの夢追い人のぶつかる壁を超えることはできなそうである。
主人公の累も当然生きにくいだろう。
世の中の誰もが自分の持っていないものを欲しがるが、この作品で踊らされる人々もそうだった。
持っているものによって見ることができる世界が異なるのが、一番救いがないかもしれない。

マンガとしての出来も素晴らしいのだが、画風も好きだ。
絵柄だけでなく、コマの使い方や演劇の表現もとても美麗で見惚れるくらいだ。
設定としては二度と見れぬ醜悪な顔を持つ累も、マンガとしてのデフォルメがされていると時々可愛く見えたりもする。
尤も、その可愛いというのは女のコとしてではなく小動物とかモンスター的な意味合いではあるので、きっと心外に思うだろうが。

昨今のルッキズムは年々強くなっている傾向を感じるが、演劇というルッキズムを避けては通れない世界で描く「累」は、なかなか思っても言いにくい事実上の真実とでも言うべき理を残酷なまでに描写している。
その内容に違わず、醜くも美しい作品だと思う。

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