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ブランコ

noteの題材に困り、お題用の単語を無作為に表示してくれるとあるサイトを使用してみたところ「ブランコ」が出たので、それについて書いてみることにする。

ブランコといえば、公園なんかによくある遊具のことであるが、ふと思い返してみると結構ポンポンと思い出が出てくるものだ。

記憶にある限り、私が最初に見たブランコは、ほんの幼い頃に住んでいた社宅の庭にあった。水色のペンキが塗られていたが、もうボロボロでところどころ錆びた金属が見えていた。そのブランコに乗った記憶はあるようなないような…という感じで、「まだ小さいから」という理由であまり近寄ってはいけないと言われていた気がする。

子どもにとってブランコは楽しいものだ。流れに乗ってしまえばひたすら揺れ続ける。その揺れは非日常そのものであるし、他の遊具に比べてその非日常を長時間味わわせてくれる。私も幼稚園児の頃から小学校低学年くらいまでは、公園に行くたびにブランコで遊んでいたように思う。座ったまま親に背中を押してもらったこともあれば、必死に立ち漕ぎをしたり、立ち漕ぎで生まれた勢いに任せて座り漕ぎで楽しんだりしたこともあった。時には時間が経つのも忘れて漕ぎ続けた。気づいたら空が暗くなっていたあの感覚を私は忘れることができない。

幼い頃は人を疑うことを知らず、それが故に大人のちょっとした冗談を冗談と知らないまま成長することもある。私が幼稚園に通っていた頃、父は私にこんな話をした。「子どものとき、ブランコを大きく漕ぎすぎて、勢いあまって円を描いて1回転してブランコから落ちたことがある。」今思えばそんなことは(少なくとも子どもが漕ぐ分には)あり得ないはずなのだが、まだ5歳くらいの私はすっかり信じ切ってしまった。それ以来、友人とブランコの話になるたびに父のエピソードを話していた。この話を知っている友人は果たして何人くらいいるだろうか、はっきりしないがまあまあ多くの人に語った記憶はある。そして、この話が嘘であると父から聞かされたのは中学生のときだったと思う。父は、まさか私がそんなことを信じているとは思わなかったという。もう少し大きくなってから聞いていれば、「嘘〜!?そんなのあり得る?」のようなリアクションもできただろうが、幼稚園児のときに言われたものだからすっかり信じてしまっていた。この事件(?)を生み出したのは、子どもの純粋さなのか大人の上手い冗談なのか…。

私は3歳まで前述のブランコのある社宅に住み、その後小学4年生の途中までいた場所はブランコのある公園が近くにいくつかあったので、今お前暇比較的ブランコを身近に感じて幼少期を過ごしてきたように思う。しかし、小4の途中で引っ越してからは近くにブランコもなく、また年齢的に親や友人と公園に行くこともほぼ無くなったため、ブランコ遊びから遠ざかってしまった。そのまま10年が経過した。

そして大学2年生の夏、キャンパスからそう遠くない場所にブランコのある公園を見つけた。仲の良い友人たちに触発されて、当時の私はブランコに乗りたくて仕方がなかった。午前で授業が終わったある日、キャンパスから同じバスに乗った友人に「午後暇だから、バス途中で降りて公園でブランコ乗るわ」と話した。すると友人も一緒に行くと言った。よく考えたら、いや考えなくても、19歳の女子大生が2人で真昼間に公園でブランコで遊んでいる光景…なかなか面白い。一緒にブランコを漕いだり、友人に背中を押してもらったりした。10年ぶりのブランコ、背中を押してもらうのはもっと久しぶり、あの日のあの瞬間は、楽しくて懐かしくて、けどちょっと小っ恥ずかしくてずっと笑っていた記憶がある。

こうやって振り返ってみると、偶然表示された「ブランコ」をきっかけに様々な記憶が蘇ってきた。文章としてまとめる過程でとても楽しく思い出をたどることができ有意義な時間になった。暇つぶし成功である。

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