5/21 朝

日差しの眩しさから起床し、顔を洗い、部屋の掃除をし、身だしなみを整え、バイトへ向かっているが、雲ひとつない青空が皮肉なほど希死念慮に襲われている。

いわゆるトンチキソングと呼ばれるような歌を両耳から脳へ直に繋いでいるというのに、それなのに、ああ死にたいななんて考えながら、地面と靴が擦れる音の方に意識が持っていかれる。

きっと、バイト先の人と会話を始めたら今の気持ちはゼロになるのだろう。人と関わることは苦手であり、1人を好んでいるが、人との会話に救われていることが幾度もあるなと最近気がついた。

1人でYouTubeを見ながら声を出して笑うことと、人との会話の中で声を出して笑うことは私の中で全く異なっていた。私が笑顔になることだけではなく、私が相手を笑顔にすることも心の健康のためには大切なのかもしれない。

実は私はこのようなことを考えている場合ではないのだ。明日発表の論文に全く手をつけていない。手をつけていないといっても、一から書き始めるわけではなく、すでに提出した論文の修正を行い発表をするので簡単そうに思える。が、実際は簡単ではない。取り消した分、何かを付け足す必要があるし、教授から?のマークを書かれていたら、もっとわかりやすい言葉で直す必要がある。文章を考えることは難しい。頭を使う必要があるため、避けてしまっていた。

引き伸ばし癖はいつ治るのだろうか。大学四年生のうちに、自分が困らない程度に治しておきたい。引き伸ばして苦しむのは自分だと引き伸ばし癖を患っている人たちは全員理解しているのだ。理解した上で自身を苦しめてしまう。

昨晩、「人生楽しい?」と問われた。自分の人生が楽しいかどうか、はっきりと答えることができなかった。圧倒的に、楽しくない時間の方が多いからだ。しかし、不自由に生活できているというのに、自分の人生を楽しくないと下げてしまっていいのだろうかと考えた。それは、自分自身が決めていいことなので楽しくないと言い切ってもいいとは思うのだが、私の人生を楽しくしようとたくさん色んなことをしてくれている人たちも存在している。実際、そのように私をきっと愛してくれている人たち、私が愛している人たちと関わっている時は、楽しいし幸せだ。その分、人生が楽しくないと悲しんでしまう時間も多くあった。いや、もしかしたら、人生楽しい?というのは、人生においての、楽しい/楽しくないの割合から答えを出すものではないのかもしれない。というか、別に真剣に考えて出す答えでもないのかもしれない。楽しい?と聞かれれば楽しいと答えればいいし、深く考えることでもなかったのかもしれない。

朝からこんなにもたくさんのことを考えてしまい、常に頭が動いている状態であることが苦しい。たまにはぼーっと海を眺めたり、空を見上げたり、緑に囲まれたり、休まる時間が欲しい。1日休みの日があると、家に引きこもってしまうことはよくないのかもしれない。たまにはアクティブな休みを経験すると意外にもリフレッシュされるような気がする。


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