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ユーモレスク 12

                            tatikawa  kitou

3章 アルツの基地

 スクラップ工場の中は、日中にあってもおよそ想像通り薄暗い。下が土間のせいも、窓の位置のせいもある。高い天井のすぐ下の壁に貼り絵のように長方形の小窓は並んでいても、まったく辺り一面暗幕で覆われた印象だ。

 一列に、のまジィ、『そのバァ』、オグリ、アルツの順で通路を進んだ。
畦道ほどの細道ではないが、右側には資材や圧縮機などの大型機械が、左側には電化製品の廃品や空き缶や雑誌、書籍が山積みにされて圧迫感がのしかかる。それに、歩くほどに入り口から差す光が遠ざかり暗さを増してくる。

 先頭(のまジィ)が止まった。ドアノブは真鍮製の球形であった。のまジィがそれを握った。

「皆さん。靴を脱ぎなさい。さて。小栗君。暗かったでしょ? 怖かったかな?」

 オグリを見つめるのまジィの声が、ニコニコ優しかった。

「おれ、全然怖ぅない」

「うん。この部屋の中はサンルームじゃ。明るいから。もう大丈夫じゃからの」

 のまジィがドアを引いた。

 一挙に光が降り注いだ。

 まぶしさにオグリは一瞬目を細めた。顔をしかめ、騙された(部屋の中に入ったのではなく部屋の外に追い出されたのだ)と思ったが、すぐに錯覚に気付いた。

 部屋だ。畳が敷かれてあった。畳の数を数えた。6枚。そう。ただ。それ以外の四方と天井までがすべてガラス張りなのだ。部屋の真ん中に木の円卓と背もたれ付きの木椅子が4脚。

 部屋の隅には台所とガスコンロがあった。『そのバァ』はヤカンに火をかけ、お菓子を探し始めた。三人は円卓を囲み椅子に座った。

 アルツが、
「ビックリしたじゃろ?」
と聞くとオグリが
「ビックリした」
と答えた。

 『そのバァ』はアルファベットビスケットを入れた菓子器をオグリの前へ静かに置いた。

「おれ。ここでも時々本読んだりするんじゃ。部屋の外みたいで気持ちええじゃろ?」

「ああ、確かに気持ちええ」

 のまジィが、
「小栗君は学校の成績がいいんじゃろ? 蜂ちゃんはバカじゃけね。勉強もよう教えてやっちゃってね」
と言った。

「なに言うちょん。アルツは学級委員長でクラスで一番なんじゃけ」

「へー。本当かの、蜂ちゃん?」

「成績はそうじゃ。ここで算数とか国語の問題ようやるけぇ。でも。あんなんくだらん。ただのクイズじゃ。ルールが分かったらみんな百点じゃ。一番もドベも変わらん」

「ほらの。小栗君。やっぱり蜂ちゃんはバカじゃろ。学校はルールを教えてくれるとこじゃのに。でもの。小栗君。蜂ちゃんは頭がカラッポじゃけぇ、その分、ようけぇいろんなものも入るんじゃ。蜂ちゃんとずっと友達でいてやっちゃってのォ」

「はい」

「よかった。なんしか蜂ちゃんは『オグリがオグリが…』言うて、君のこと以外学校のことを話さんでなァ」

「——なぁ。のまジィ。学校はルールを教えてもらう所か?」
 割り込んでアルツがのまジィに聞いた。

「あれ? 蜂ちゃんはそんなことも知らんかったか?」

「知らん」

「学校は『決まり事』を教えるとこじゃろうが」

「そうなんか。でも、おれ、バカでよかったっちゃ。たぶん、オグリもおれとおんなじくらいバカじゃけぇ頭の中にようけぇ入れんといけん。『決まり事』も、『決まり事』じゃないこともいっぱい知らんといけん。知ったら楽しいけぇ、おれら、なんぼでも楽しゅうなれる」

「おじいさん。ぼくもお爺さんのこと『のまジィ』って呼んでもいいですか?」
 オグリが聞いた。

「はい。わしもそのほうが嬉しいです」
 のまジィは、そう答えた。『そのバァ』も並んでニコニコうんうんと
頷いていた。

「でもっ…」

「うん。『でも』、なんじゃ。小栗君?」

「おれ。お爺さんやアルツの言うこと、分かるようでよう分からん」

「なんがじゃ? オグリ」

 アルツの声のほうが、のまジィより早かった。

「アルツは成績が一番じゃのに、自分のことバカじゃ言う。お爺さんもアルツのことをバカじゃ言う。じゃあ、アルツより成績の悪いもんはみんな大バカか? じゃあ、アルツの言う賢いっちゅうのはどういうことなんじゃ?」

「オーッホホホホッ!」

 のまジィが口を挟んだ。

「あー。そうじゃのぅ。笑ぅちゃあいけんのぅ。すまん。あんの、小栗君。みんなバカっちゅうことじゃ。みんな最初はバカで、勝手に賢ぅなっていくということじゃ。誰もそうじゃが蜂ちゃんは蜂ちゃんじゃけぇ、本当の所は分からんけどのォ。蜂ちゃんは蜂ちゃんの思う正しい考え方を心が探しとるだけじゃろうよ。年寄りにはそう見える」

「オグリ。ごめん。おれ、威張って言うとるんじゃない。おれ、思うたことをそのまんま言うしかまだ知らんけぇ。ごめん」
 アルツはオグリに謝った。

「いつか蜂ちゃんは、『天邪鬼』と言われ出すじゃろうのぅ」

「んっ? 『天邪鬼』ってなんじゃ? のまジィ」

「喰い付くな。待て。まだ小栗君のほうが先じゃ。小栗君、蜂ちゃんはいっつもこんな調子じゃ。『なんで? なんで?』すぐ喰い付く。あのな。小栗君。世の中には『こと』が三つある。『したいこと』『しとうないこと』『すべきこと』。この三つじゃ」

 オグリは初めて面と向かい、のまジィへ質問した。

「うれしいことや楽しいこともあるし、悲しいことや辛いこともあるんじゃないですか?」

「嬉しいことや楽しいことは『したいこと』じゃろ? 悲しいことや辛いことは『しとうないこと』じゃろ? いろんな『こと』はあっても大体『したいこと』『しとうないこと』のどっちかに振り分けられるんじゃ。してな。最後の『すべきこと』。これが問題じゃ。『すべきこと』と言うのは仕事のことじゃ。仕事はせんといけん。これはルールじゃ。せんと、これは反則じゃ。したいことの為にすべきことをする。これを努力と言う。しとうもないことの為にすべきことをする。これを徒労と言う。やがて、したいことが仕事になる。これを幸福と言う。やがて、しとうもないことが仕事になる。これを不幸と言う。そして。幸福な者も不幸な者も人はいつか必ず賢うなる。ホーッと安堵して賢うなるか、ハーッと深い溜息ついて賢うなるか。共に明日が見えるようになる」

 再びアルツが口を挟んだ。

「オグリの父ちゃんにも似たようなことを言われたことがあるっちゃ」

 のまジィは流して話を続けようとしたが、オグリも言った。

「父ちゃんもそうかもしれんが、おれの大人の友達にも、のまジィと同じようなことを教えようとするクソ爺がおる。その爺、よう言うんじゃ。『おまえ。政治家になれ。政治家の仕事はたった三つ。戦争を起こさんこと。飢えをなくすこと。差別をなくすこと。それ以外は全部ドラマじゃ』って。じゃけど。のまジィと違ぅて笑わん。いっさい笑わん。父ちゃんみたいにハーッて溜息もつかん代わりにいっつもブスッ、としちょる。ぼくをにらみ上げる」

 なぜだか、のまジィの眼が光った。

「…小栗君。その『御仁』の名前を教えてくれぬか。その御仁はまだ戦闘中じゃ。旅の途中で死す覚悟をお持ちの方じゃ。何かをまだ達成されんとしておられる。歳をとれば後人を育てとうなる。わしもそうじゃ。じゃが。その御仁はいまだに御自身を育てておられる。努力を為されておられる。小栗君。君にそのようなことを仰すその御仁の名をわしに教えてくれぬか?」

「ごめんなさい。ぼく。言えません」

 アルツに勘が働いた。

「その『ゴジン』って、あの基地を作った人か?」

「すまん。言えん。おれだけの秘密じゃったらええが、違う。じゃけェ。アルツ。それ以上聞くな」

「そうじゃの。分かった。のまジィもあきらめ。じゃけェ。のまジィ。おれ、別のことなんじゃが聞いてもええか?」

「ええじゃろ」

「のまジィ。『そのバァ』でもええ。荒神様のタキエモトナガって人を知らんか? 聞いたことないか?」

「大森の荒神様か?」

「そうじゃ」

「タキエモトナガ…。それは元永多喜会さんじゃ…じゃな」

 ふいに、のまジィの顔が苦虫を嚙み潰したみたいに引きつり、『そのバァ』に目を配った。

「女なんか?」

「そうじゃ――」

「なして元永多喜会さんっちゅう人が、タキエモトナガって言わんといけんのじゃ?」

「巡査の娘じゃ。それが罪作りの元じゃった。じゃが。とことん難しい話じゃ」

「難しい話でもええけェ。いちおう話してくれ」

「そうか――蜂ちゃん。今は――昭和何年じゃ?」

「昭和五十年じゃ」

「じゃあ――蜂ちゃん。昭和の前の元号は何じゃ?」

「大正じゃ」

「じゃあ――小栗君。。大正の前は何じゃ?」

「明治じゃ」

「二人ともよう出来るのう。賢いのぅ…… そう。その明治の時じゃ。明治43年。西暦じゃったら1910年。とんでもない事件が起こった」

「とんでもない事件って?」

「はらわたが煮えくり返る事件じゃ」

 『そのバァ』が突然険しい顔で、のまジィを咎めるようにその横腹を肘鉄で突ついた。のまジィは、まだ眉間に皺を寄せていたが、苦虫も諸共飲み込み冷たい激怒を鎮めるかのように言った。

「そうじゃの。あと一、二年の辛抱じゃろう。——そうじゃの。落ち着かんとのぅ。——そうじゃの。蜂ちゃん。小栗君。今日は大安じゃ。日柄もええ。詳しゅう言えん代わりに一つおとぎ話をしちゃろう」

 そして、そのおとぎ話をのまジィは一切の滑舌の淀みもなく、立て板に水の如く語り始めた。

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