1+1=2のリンゴと砂山

子供がどうして

1+1=2

になるの、という問いかけに対して、例えば
「リンゴ1個とリンゴ1個を合わせて2個になる」
という説明が有名ですが、時々
「砂山1つと砂山1つを合わせると砂山一つだよ」
という反論をされた、という話をよく聞く。

ここで、足し算の定義は何かなと思って、ユークリッドの原論(Fitzpatrick の英訳版)を読み直してみると、そこには第1巻の公準2で、等しいものに、等しいものを足したら、全体は等しくなる、はずだからそういうことにしておこう(postulate の個人的意訳)と書かれてれているのみで、足し算の定義は特にない。しかし、原論では足し算は普通に使っている。実際、7巻と9巻で整数論とその応用を取り扱っており、例えば、偶数と偶数の和は偶数になる(9巻命題21)ことなど証明している。

ところで足し算で例を出して説明する時や応用問題で、いつから、「合わせて」というようになったのだろう。中村幸四郎などの原論の日本語訳でも、公準2は
「同じものに同じものを加えた場合、その合計は等しい」
と訳されており、「合」の字が使われている。Fitzpatrick の英訳では「whole」となっているので「合計」というよりは「全体」に近いと思う。

子供たちがこの「合わせて」を聞いたら、何人かは「合体させる」ことを連想するだろうなあとは思う。りんごなどでは二つのリンゴを合体させて一つにはできないから、そうしないけれども、砂山では合体させることができるので、そうしてしまうものもいるだろう。そこから1+1=1となるという反例が出てくる。

しかし足し算はそもそも合体させない。原論では数を線分の長さとして表す。まず、単位線分を決め、例えば、2なら、単位線分の2倍の長さを持つ線分として表す。二つの数の和は、それら2数を表す線分たちを一直線上にくっつけて並べてできた線分全体の長さになる。したがって、くっつけるだけで、合体はさせない、のが足し算の例あるいは説明として適切なのではないか。リンゴの例では、対象を並べるだけなので、この原論の足し算の概念とあっているが、砂山の例では対象を合体させているので、原論の足し算とは違う操作をしていることになる。

砂山を用いるなら、例えば、
「砂山1つと砂山1つを横に並べると砂山は全部で幾つになる? 合体させたらダメ」としたら、大抵は2と答えるんじゃないかな。

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