ロマンティック・ラブ・イデオロギーがつらい人
レンタルなんもしない人が好きで、ツイートをよく見ている。人間性を超越した「レンタルなんもしない人」というサービスと、ツイートに垣間見える人間性のギャップ、そして知性を感じるのが好きだ。そのレンタルさんの依頼報告ツイートのなかに、ロマンティック・ラブ・イデオロギーについてのものがあった。
大学生のときにその言葉を聞いた覚えがあったのだが、そのときは内容がぴんとこなかったのだろう、中身は覚えていなかった。だが今回あらためてその内容を知り、体に稲妻が走ったような感覚をおぼえた。私がこれまで感じていた違和感のようなものの正体は、これが原因だったのではないか…と思った。
手前味噌であるが、私は、社会のなかでの自分の「スペック」からすると、恋愛経験が乏しいほうだと思う。私が望み、機会をつくれば、もっとたくさんの恋愛をすることになったのだろうが、私はそれを望まなかった。今思えば、恋愛・結婚・出産の3つの概念を1人の相手に求めることに、違和感をおぼえていたのではないかと思う。同じ相手に対して、段階に応じて3つの役割を期待するイメージが沸かなかったのではないか。
私は、ロマンティック・ラブ・イデオロギーから解放されることで、自分の恋愛観を見直すことができる気がする。過去のこと(ここで詳細は言及しないけど)を見直して、今後はもっと違うように考えられるかもしれない。
本当はnoteに詳しく書いてすっきりしようと思ったのだけど、さすがに全世界に発信するのはやめておこう。ロマンティック・ラブ・イデオロギーからの解放に共感してくれる友人諸氏がいたならば、ぜひ詳しく話しましょう。