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華の新人

管理職の異動が決まった。昨年の4月に異動してきたばかりだったので、今年はないと思っていたが、1年の短い付き合いだった。

年度末には、次年度の昇給の通知が渡される。わざわざ管理職の部屋まで呼ばれて渡されたので「緊急対応でどこかに出動させられるのか?」と勘ぐったが、管理職は最後に私に話をしたかったらしい。


話の内容は私の態度・言動面に対する指摘だった。

・相手の話を最後まで聞かずに、内容を理解した時点で相手を遮って話し出してしまう。

・早口で相手をまくしたてるように話す。

日頃はとにかく言い方の悪い人物なのだが、非常に気を遣った言い方で指摘をしてもらえた。ありがたい話である。

これは私が非常によく言われることで、自分でも納得した。同時に、この人物から言われるほど深刻なのだとも理解した。


社会人も年数が経つにつれ、「指摘してもらう」のは難しくなる。私だって、ある程度以上の経験を積んでいる人にはなかなか指摘できない。指摘してもらえるうちに、ありがたく受け取るしかない。

(もちろん、理不尽やパワハラに分類されるようなものは無視することも同時に大切だけど)


今ではときたまになった指摘だが、そのたび新卒すぐのときの部署で、かなり厳しい指摘をしてきた人のことを思い出す。

指摘されたのはここに書くのさえ憚られるような内容で、当時いかに私に社会人基礎力が欠けていたかがよく分かるのだが、その中で「自分にも注意されなくなったらもうおしまいだよ」と言われたのは特によく覚えている。

これを言うのが良いかは別として、真理だな、と思う。

「この人に何を言っても無駄だな」と思われたら、もう指摘されることはない。その人は弱点を抱えたままで、それを自覚することなくどんどんと時間が過ぎていく。そしてさらに厄介者になってしまう。悪循環だ。何を言っても無駄だと思われたら、もうおしまいなのだ。


私は仕事では、最悪「感じは悪いけど、こいつを外したら仕事が回らないから仕方ない」と思われればよいというスタンスでいる。私にとってはそれが比較的楽なやり方だからである。だが、このまま今の仕事で活躍したいと思うなら、それだけではやっていけないのだな、と思う。

幸い、指摘してくれる人、優しい人に同時に恵まれ、なんとかここまでやってこられているが、今回のこの指摘は、このままではまだまだ駄目だと認識する良い機会になった。