日本に救世主なんていない

私は政治学徒だった。中学生のころから国政選挙の動向に興味があり、大学の卒業論文も政治学で執筆した。人一倍、政治に興味のある人間だったはずだ。

でも、テレビの向こうで行われている政治は、どこかで自分とは遠いところで行われているものだと思っていた。

衆院選や参院選といった国政選挙は、ニュースを見ていれば大きな政党の動向はわかるので、結果の想像もつくし、政党を見て投票すればいいので、まだわかりやすい。遠いところに向かって人気投票をするような感覚かもしれない。

ただ、いざ選挙になってみると、投票したい人がいない、投票したい政党がないということはあった。いいなと思っている政党はあるけど、自分が選挙権を持っている選挙区からは立候補してない。この政党は嫌だな、だからといってあの政党に投票するか?政党とか無関係に、いい人がだれもいない。

こういった思いを拭えないまま、投票したり、投票しなかったりしてきた。過去には自分のことを棚に上げて違うことも言ったかもしれないが、今となっては、私に投票に行かなかった人を責める権利はないと思っている。


感染症が生活に大きな影響を及ぼすようになって1年以上がたつ。この間、政治によって自分の生活は大きく変わるし、何より政治は人の命を左右するということを、嫌というほど感じた。政治の力の大きさを、まざまざと見せつけられている。

今の政府の対応は良くないとしよう。でも、国会に他に任せられる人がいるのだろうか?首相が安倍さんでなければ良いというのは、全くの幻想だった。自民党にもっといい人はいるのか。河野大臣?小泉大臣?少なくとも、ニュースで目立つような人には、いないんじゃないか。では、立憲民主党ならいいのか。立憲民主党と自民党が入れ替わっても、立憲民主党が今の自民党のようなことを言い、自民党が今の立憲民主党のようなことを言うんじゃないのか。政党が入れ替わったからと言って、問題が即座に解決するとは思わない。

今の日本に、メルケル首相もアーダーン首相も蔡英文総統もトルドー首相もボリス・ジョンソン首相もいない。人々をまとめ上げるような力のある言葉を持つ政治家はいないように思う。そして、そういった人がすぐに現れると期待するのも難しい。でも、どこかですべてを解決してくれる救世主が現れるのを待っている。ある人にとって、それは吉村知事かもしれない。それは熊谷知事かもしれない。でもそういうことなんだろうか。

今となってはもとが誰の発言だかも忘れてしまったが、私は選挙のたびに「選挙はいい人を選ぶものではなく、だめな人を落選させるものです。いい人を選ぼうとせず(そうすると、だいたい選べないので)、いちばんましな人を選びましょう。」と言っている。そうやって少しずつ、少しずついい人を送り出していくしかない。もうそれでは間に合わないところまで来ているかもしれない。けれど、沈みかけた船に現れた救世主は、救おうとしてとんでもないことをするかもしれない(まさにナチスがそれに当てはまるのだから)。

こんなふうに思って来たけれど、実際に政治家や立候補者と話してみると、その中には前向きに応援したくなる人もいるのだと気づいた。ただ、政治家と話してみるというのは、なかなか実現しにくいように感じてしまう。政治家、特に地方議員は本来地域に根ざしている存在のはずなのに、なぜか私からは遠い。

私も最近知ったことだけれど、自分が地域とつながっていれば、政治家は身近なものになりやすい。よく考えれば当たり前のことかもしれないけれど、政治家は小さな地域コミュニティにひとつひとつ入っていくことで自分の支持基盤を作っていくのが基本のようだ。風景になってスルーしてしまうけれど、政治家や政党のポスターは街中に貼ってある。よく見てみると、近いエリアでも地区ごとに貼ってあるものの比率が全く違うこともある。それが、その地区と政治とのつながりを表しているらしい。

逆に、私もそうだけれど、地域とのつながりがあまりない人にとって、政治家は遠い。戸建てに住んでいれば、政治家が訪ねてくることもあるようだが、賃貸の集合住宅、特にオートロックになっているような建物ではそういったことはなく、せいぜいポストに政治家のチラシが入っているくらいだ。仮に訪ねてきても、ピンとこなくてスルーしてしまうかもしれない。

政治は私の生活を左右する。政治は人の命を左右する。これがわかったのに、政治は遠いままだ。

はっきりとした解決策はわからないけれど、少しだけアクションすることはできるかもしれない。駅前でビラを配っていたらもらってみる。街中で辻立ちしている機会があれば、数分耳を傾けてみる。SNSをフォローしてみる。いい人そうだったらツイートにいいねしてみる。見かけたら「頑張ってください」とひと声かけてみる。そんなことでもいいのかもしれない。知らない人に話しかけるのは遠慮してしまうというのは、私は当たり前の感覚だと思っている。私もたまたまきっかけがあったけれど、なにもない状態ではこのようには思わなかったと思うから。

少しでも良いと思える人を探して票を託す。でもそれは全権委任ではないので、違うと思ったことは批判する。自分と異なる意見を聞き、尊重してくれる人を選ぶ。自分の周りに「いい人候補」がいれば、応援する。今よりもほんの少し多くの人が、そういうことをするだけでも、少しずつ日本の政治は変わっていく気がしている。