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『人は便利になりすぎた』
こんな仮説から振り返ろうと思います。
先日、一般社団法人こたえのない学校のLCLの合宿に参加しました。
▼こたえのない学校の詳細はこちらから▼
https://www.bing.com/search?q=こたえのない学校&form=ANNTH1&refig=6e8408dd3cb9401ead8ccec242dafb86
昭和、平成、令和と時代が進むにつれて、便利な世の中になっているのにも関わらず人間としての欲が削られているそんな気がした。
それは今回の合宿を経て強く感じました。

合宿の内容はいたってシンプル
1日目
集合→ゆっくり山登り→山登りで発見したもの気に入ったものを模写→道づくり→夕食→就寝
2日目
起床→朝ごはん→川づくり→解散

こんな流れになっている
教育系の合宿であれば、学んだことを言語化して発表。また学び発表と…
こんな流れが一般的だろう

しかし、今回の合宿は『なんとなく始まって、なんとなく終わる』そんな合宿だった

おそらくいま読んでいる人には『?』が飛んでいるはず。

そう、これが今回の学び

自然一体化して、日常の便利から解放されて不便を感じたときに新しく幸せを感じる。

その幸せって人間本来の心の底から生まれてくる欲なのではないか

その欲というのは、箇条書きで羅列できるほど言語化できたものではなく、本能のままでてきた、生き物のあたりまえの生存本能ではないか

その生存本能は、現代が便利になりすぎるが故気付かず、何か紋々とする幸せの追求に迫られている。

岩と木が絡み合っている迫力、まるで何かの模様かのようにきれいに咲いている植物、道と山の密接なかかわり、焚火のパチパチなる心地の良い音、圧倒的な月の明るさ、手に届くような満天の星、夜のモノクロ世界、朝日の偉大さ、川の水流の音色。どれも、インターネットで調べても感じることはできない美しさだった。
ただ、言葉にすると100%思いは伝わらないので、最後にお気に入りの写真を置いて終わりとする。


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