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才能を生かす環境 急募

 働き方改革を始め、最近は人権という視点が重要視されつつある。現にアメリカシリコンバレーでは顧客と同等、もしくはそれ以上に社員の働く環境を大切にしている様子が窺われる。私が視察したnVIDIAを始めとした企業では、基本的に従業員がどこの場所で働いても構わないというスタイルをとっている。デスクで仕事をしている者もいれば、カフェテリアで食事をしながら談笑しているような、仕事をしているようなという光景が散見された。

 その光景を見て、「ここでなら一生働けそうだな。」と正直に思った。つまり、それが狙いだ。多くの人たちに「ここで働きたい!」と思わせれば自然に優秀な人間が集まるし、その中でも競争が生まれる。人材を補充するのではなく、優秀な人間がそのポテンシャルを最大限に生かせる環境を企業は提供することにより、結果的に企業は成長するという考え方だ。

 一方、日本はいまだに「管理」という考え方から抜け出せていない。人は管理するものであり、ビッグボスの下でせっせと自分が今持っている能力を吐き出す。このような体制だと従業員は自分の今ある力を生かす以外に道は無いので、変革の担い手となることは稀であろう。私が懸念するのは管理社会に生きるボスという存在は下の者に対して高圧的になりやすいということである。もちろん、ボスという存在はそこまでたどり着くのに人よりも多く努力し、そして人よりも多くのことを上手くこなしてきた。そのイメージに部下を当てはめてしまいがちなのである。

 言うまでもなく日本という国は奉仕の精神で国を発展させてきた。誰よりも長く働き、上司からの雑言罵倒に耐え今の地位を得たのである。忘れてならないのは、その時代は今のようにクリエイティブとか人権とか言われていなかった。労働人口が多く、一部の天才が起こした変革のアイデアを質高く実現するだけで世界で十分に通用した。

 しかし、現代は言うなれば身近にある変革はほとんど出し尽くされてしまっており、その主導権もほぼ外国に取られてしまった。このような環境の中で今後日本が生きていくためには、中国に変わる世界の工場となるか、それとも技術革新の担い手になるかである。手っ取り早いのは世界から労働者を集めに集めて、世界の工場としての役割を担うことだが、それを望まないのであれば少ない人口の中でさらに才能ある者たちを生かせる環境を作っていくしかない。

 才能というのは今置かれている環境に何かしら不満があり、それを改善するためのアイデアを発想し、表出化できる環境があってこそ始めて発揮される。モラルやルールはもちろん大切だし、TPOを守れない人間は誰の協力も得られない。しかし、縛るのではなく伸ばすという意識を社会全体が持って人材を大切にしなければ今後も優秀な人材はどんどん海外に登用され、気づいたら国内に残ったのは3流以下の人間だけなんて洒落にもならない。

 残念ながら才能を持つ人間というのは一部だし、その一部の人間も自分にどのような才能があるか分からない。みんなで才能を見つけ合い、生かし合う環境を整えることは日本にとって急務なように思う。


世界を旅するTraveler。でも、一番好きなのは日本、でも住みたいのはアメリカ・ユタ州。世界は広い、というよりも丸いを伝えたいと思っている。スナップシューターで物書き、そうありたい。趣味は早起き、仕事、読書。現在、学校教員・(NGO)DREAM STEPs顧問の2足の草鞋。