平和ぼけの中の平和論

世界の多くの国はまだまだ紛争のまっただ中にいる。ウィキペディアで恐縮だが、世界ではまだこれだけの数の紛争が起きているようだ。

紛争の理由は様々で、宗教的な理由から、私利私欲のものまで。ある友人が「宗教が戦争を起こすんだから、世界から宗教が無くなれば良いんだ!」という暴論を展開していたが、そんなに簡単なものではない。

言うまでもないことだが、紛争地域に入国することは基本的にはできない。世界多くの国に私も行ったが、危険地域にはもちろん行ったことはない。というか行けない。そこに入るためには、数多くの根回しや安全確保が必須であり、一般人にそれを準備することは難しいだろう。だから、人から聞いた話しや書籍などを通じてそうした場所を思い描くことしかできない。そんな自分の状況が歯がゆく感じることもある。日々の授業で生徒達に平和の大切さを訴えても自分は平和な世界しか見たことがないので、心の底から意識を変えるほどの伝え方ができていないと反省する日々である。

平和ぼけ日本と言われるが、平和ぼけと揶揄するほとんどの人間は私と同じで、実際に熾烈な紛争の中に身を投じた経験はないだろう。そんな人間がいくら平和を語ったところで、その大切さが人の心に突き刺さる言葉に変換して他者に伝えることは当然できない。お金が無い人間がいくら1億円の稼ぎ方を伝えても人に伝わらないのと同じである。

ではどうすれば良いのか?それに対して残念ながら回答はない。しかし、このコロナ禍で何気ない日々がいかに多くの危ういことで成り立っているのか体験的に経験した。紛争で日々の営みを追われた人々の願い。それはきっと、「普通」なのだろう。生まれた国や人種で「普通」を得ることが困難になってはならない。そこには「運」の要素しか幸せを左右しないからだ。平等な社会の実現というのは困難であろうが、それでも生死や生活に関してはせめて平等であってほしい。今でも紛争が起こる国に住む人々が普通に買い物に行き、普通に仕事に行き、普通に仕事に行き、そして普通に家族や友人達と過ごす。そんな社会がなぜ実現できないのか。ここのブログを通してみなさんと共に考え続けたいと思う。

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世界を旅するTraveler。でも、一番好きなのは日本、でも住みたいのはアメリカ・ユタ州。世界は広い、というよりも丸いを伝えたいと思っている。スナップシューターで物書き、そうありたい。趣味は早起き、仕事、読書。現在、学校教員・(NGO)DREAM STEPs顧問の2足の草鞋。