人生は人と人との関わりの物語
昔から自分は死生観というものに強い興味を持っている。大学院時代にPsychology of Deathという授業を取ったし、死生学の大家である故アルフォンス・デーケン先生の講演を聞き、本も何冊か読んだ。最近では、シェリー・ケーガン先生の著書を短編版と長編版どちらも読破。死に関していえばちょっとしたスペシャリストだ(笑)。
まず先に断っておくべきは、死生学に興味関心が強いからと言って、悲観論者では決してない。むしろ、楽観主義だし未来はいつでも明るいものだと信じている。では、なぜ死生学なのか?それは、単純に人はいずれ死ぬからである。いずれは通る(もしくは、そこで全てが終わる)、死というものを意識することで日々の自分の生活は非常に尊いものに思われてくる。だからこそ自分が取る行動や言動の一つ一つに意味を考えられるようになり、それがより充実した人生へと誘ってくれるものだ。
みなさんは生きていて何に価値を感じているだろうか?仕事、趣味、食事、人それぞれだろうが、そこに共通することは人と何かしらの形で関わっていることではないだろうか?例えば、どこか海外旅行に行ったとする。帰ってきたときの思い出には必ず人が関わっているのではないだろうか?「一緒に行った○○さんが、現地のおいしい店を紹介してくれた。」「現地で会ったガイドの○○さんが、面白いことを沢山言ってくれてバスの中が盛り上がった。」などなど。我々の体験には必ず誰かしら登場人物は出てくるものだ。
つまり、人生とは人とどのように関わり、どのように感じ、そしてどのように振る舞ったかという、人と人との関わりの壮大な物語なのだと思う。良き人生を送るために必要なことは、恐らく多くの人たちと関わりつつ良いも悪いも経験を積んでいくことなのではないだろうか。自分の人生のキャンバスを虹色に染めるためには、より多くの出会いを求め、外に出て行くことだ。人と関わっていくとたまに嫌な経験もする。しかし、それが人生の彩りを深める一つの出来事と捉えることができたら、一つ一つの体験は自分を昇華してくれるかけがえのないものに思えてくる。
もちろん、誰もが人と接して良い思いをしたいものだ。しかし、振り返ってみると、嫌な人間と関わって悩んだ経験の方が自分を成長させている。嫌なやつがいたからこそ、自分は読書という手段を使い、生きるための術を磨くことができた。心理学という手段を使って、その相手と一定の距離感で関わりながら、自分の心の置き所も決めることができた。上昇志向か諦め志向か、その差は人生の意味として大きい。物事の捉え方を変えることで現状は大きく変化する。それは単純なようで、人の心が関与している以上難しくもある。「柔軟性」これが人生で最も重要な言葉ではないだろうか。
世界を旅するTraveler。でも、一番好きなのは日本、でも住みたいのはアメリカ・ユタ州。世界は広い、というよりも丸いを伝えたいと思っている。スナップシューターで物書き、そうありたい。趣味は早起き、仕事、読書。現在、学校教員・(NGO)DREAM STEPs顧問の2足の草鞋。