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前職について


今回は僕の静岡での前職について話そうと思う。
前の仕事は刃物メーカーの海外営業部として働いていた。
月に一回は海外出張があり、いろんな国に行っていた。

わけではなく。。笑
実際は作業者として工場に入って、3K(キツい・汚い・危険)といわれる現場労働をしていた。

入社当初、僕は圧倒的に舐め腐っていた。
こんな単純作業なんて誰でもできるだろ、みたいな態度が見え隠れしていたのかもしれない。
作業者に礼節や敬意に欠けた言動をとっていた。

「雪野、お前は1年現場だ。」
入社1ヶ月で社長に言われた。

「ふざけんな。なんで俺がこんなクソみてーなこと、1年もやんねーといけねーんだよ。マジありえねー」
めちゃくちゃ社長に抗議した。(もちろんこんな汚い言葉は使っておりません。)
抗議が実るはずもなく僕は小さな暗い工場の中で1年間、超肉体労働に従事することとなった。
それはもう中々のものだった。


人体に有害な鉄粉が舞う中、ウィーンウィーンと大声で唸る刃物製造機と対峙し(ああ、オーストリア行きたい〜)、重たい刃物を毎日8時間以上持ち上げ続ける。
作業着は泥だらけになり、即行腰を痛めた。
毎朝6時前に起き、家に帰ってくる頃には疲労でクタクタになっていた。
肉体が悲鳴を上げる毎日だった。

そんな日々を繰り返すうちに、自分が不思議な気持ちになっていることに気づいた。
同じ空間を共にしている現場作業者へのリスペクトの念だ。
こんなキツいことを20年、30年やってきた人たちがいるんだと心底感じた。
この人たちのおかげで刃物業界という小さなマーケットが循環している。

とことん現場が命だなと感じた。

「事件は会議室で起こっているんじゃない、現場で起きてるんだ。」

まさにその通りだなと思った。

現場を知らない人間が一体どんな価値を創出できるというのだ。

甘ったれてんじゃねえクソガキと自分に思った。

こうなったら1年間とことんやってやろうと僕は腹を括った。
勤務中は目の前の仕事にがむしゃらに向き合い、休み時間はルーティンの筋トレをやるようになった。
心が折れそうになる瞬間は数えきれなかったけど、絶対やり抜いてやるという気持ち一つで耐え抜いた。

僕は耐えて辛抱することが美徳であると説きたいわけではない。
もちろん人にはいろんな生き方がある。
家でじゃがりことNetflixに耽る人もいれば、ベンチャー企業で休みなくゴリゴリ働く人もいるだろうし、一日中釣りやゲームに熱中する人もいるだろう。
ただ1つのささやかな事実として、1年間の暗くてキツい圧倒的肉体労働が僕にとってかけがえのない経験資産になったということだ。

自分をかたち作る基盤、土台となる「精神的なタフさ(メンタル)」はここで醸成された。
どんなことがあっても屈しない、倒れても立ち上がり続けるレジリエンスはどの分野でも通用するスキルだ。


僕はメンタルはスキルだと思っている。
スキルである以上磨き続けなければ廃れていく。
手に入れて、はい終わり良かったですねあんたの人生はイージーモードです。というわけにはいかない。
適度に負荷のかかる運動(高強度インターバルトレーニング、筋トレ)、1分間冷水チャレンジ、10分瞑想(ヴィバッサナ、歩行、慈悲)、食生活(タンパク質、野菜、良質な脂肪分多め、プチ断食)。
科学的に効果の高いといわれているメンタル強化法はいくらでもある。

Body Mind Spirit(体・知・徳)だ。

自分の身体で実験して何が自分に適しているのか、そしてそれを習慣化していく。

20代はとことん自己投資だと誰かがいっていた。
人生は困難の連続だ。困難に嫌でも向き合わなくちゃいけない時は必ず来る。
その時がまさに自分の真価が問われるタイミングだともいえる。
手前味噌になってしまうかもしれないが、僕にはどんなことがあっても跳ね返してやる。という確信がある。
もうこれは可能性とか自由意志とかではない。
圧倒的な確信だ。

それはあえて危険に飛び込み続けた結果だと思う。
これからもどんどん危険に首を突っ込んできたい。
死ななきゃ大丈夫よん♡

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