それにしても、今なぜコンペティションなのか、とお思いの方もいらっしゃるでしょう。オリンピックではかつて「芸術競技(Art Competitions)」が併催されていましたが、「採点の基準があいまい」といった指摘もあり、なくなっていきました。「芸術作品の善し悪しを測る尺度は一つではない」ということは、今では多くの人が認めていることでしょう。私もそう思います。でもここでは、まさにその「尺度」を競い合ってほしい、と思っています。

人々が絶え間なく世界中を移動し、価値観が日々更新される今日の世界において、「多様な価値観をもった人たちといかにつきあっていくか」ということが大きな課題になっています。一方で、今できあがってきているのはむしろ「異なる価値観をもった人たちとつきあわずにすませる仕組み」であるような気もしています。「あなたはそれが好き、私はこれが好き」という事なかれ主義的な相対主義が、世界を覆いつつあるように思えるのです。見たいものを選ぶ自由と引き換えに、何かを失っているような気がしています。

フランス革命を準備したのはお芝居や絵を一緒に見て議論する文化だったといいます。人と感想を共有するには、「私はここがいいと思う」と言葉にすることが必要になりますし、相手への敬意も必要になります。このように人々が互いに感想を伝え合うことで、より多くの人を巻き込むことができる価値観が育まれ、選ばれ、共有されていったわけです。

古代ギリシアでオリンピックと並ぶ重要な祝祭だったディオニュソス祭でも、悲劇や喜劇のコンペティションが行われ、多様な意見を持った住民たちがその善し悪しを議論することで、いろいろな価値観が競い合わされてきました。そしてそこで選ばれた作品や、それにまつわる議論が、やがて西洋の舞台芸術を支えるものとなっていきます。

とはいえ少なくとも舞台芸術において、単一の普遍的な価値基準というのがありえないということは誰もが認めるところだと思います。でも、「より多くの人が納得できる基準」はあるはずです。このコンペティションでは、その基準を競ってほしいと思っています。その意味では、このコンペティションで競い合うのはアーティストだけではないのです。


2019/09/29 

横山義志(よこやま・よしじ)

東京芸術祭国際事業 ディレクター/東京芸術祭ワールドコンペティション ディレクター

1977年千葉市生まれ。中学・高校・大学と東京に通学。2000年に渡仏し、2008年にパリ第10大学演劇科で博士号を取得。専門は西洋演技理論史。2007年から SPAC-静岡県舞台芸術センター制作部、2009年から同文芸部に勤務。主に海外招聘プログラムを担当し、二十数カ国を視察。2014年からアジア・プロデューサーズ・プラットフォーム(APP)メンバー。2016年、アジア・センター・フェローシップにより東南アジア三カ国視察ののち、アジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)グランティーとしてニューヨークに滞在し、アジアの同時代的舞台芸術について考える。学習院大学非常勤講師。論文に「アリストテレスの演技論 非音楽劇の理論的起源」、翻訳にジョエル・ポムラ『時の商人』など。舞台芸術制作者オープンネットワーク(ON-PAM)理事、政策提言調査室担当。