「東京芸術祭ワールドコンペティション2019」をふりかえって

コロナ禍で気づかされたのは、世界中の人が同じように飛行機に乗って旅をし、同じようにビジネスをし、同じように観光するようになっていたということです。一つの感染症がこれほど短い間に世界中に広まったことはありませんでした。それには、世界中の人たちが同じような生活様式によってつながったことがあるのではないでしょうか。「単一栽培(モノカルチャー)」の畑は、感染症が一気に広がってしまうことがあります。

東京芸術祭ワールドコンペティション2019は、既存の「世界基準」にもとづく「世界一」を決めるのではなく、次代のために舞台芸術の新たな基準を創造・発信していくことを目的として立ち上げられました。今年中には世界のGDPの50%以上をアジアが占めることになるといわれています。舞台芸術においてもアジアの重要性が増してきてはいますが、「演劇」「ダンス」といった枠組みや、作品を評価する基準は、多くがヨーロッパでつくられたものです。私も舞台芸術祭のために海外招聘の仕事をしてきて、一つの価値基準のグローバル化に加担してきたところがあるような気がしています。

これから2030年までの10年間で、この状況は大きく変わっていくでしょう。このコンペティションでは、「まだ世界的に知られてはいないが2030年代の舞台芸術界では重要になるであろうアーティスト/団体」の作品をアジア、オセアニア、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカから、各地域の代表的な舞台芸術祭のディレクターに推薦していただき、各地域出身のアーティストや批評家、そして観客に受賞作を選んでいただきました。

審査員長のジュリエット・ビノシュさん、副審査員長の夏木マリさんをはじめ、世界各地のトップアーティストたちが審査員に就任してくれたのは、それぞれの活動のなかで、新たな価値基準の必要性を痛感していらしたからです。この第1回ワールドコンペティションで、北京出身の戴陳連(ダイ・チェンリエン)さんが最優秀作品賞を授賞し、サンティアゴ(チリ)出身の劇団ボノボが批評家賞と観客賞の二冠に輝いたことは、2030年代の舞台芸術界にとって、大きな一歩になるでしょう。

そんな昨年の秋のことを思い返してみると、なんだか遠い昔のことのように思われます。その後、舞台芸術界は未曾有の危機に見舞われました。世界中の劇場が扉を閉めるという事態は誰も想像していなかったでしょう。

でもその前から、興行としての舞台芸術は、かなり危機的な状況でした。ここ一世紀ほどの映画、ラジオ、テレビ、インターネット等々といった遠隔通信技術の発達で、舞台は相対的に非効率的なメディアになってしまいました。経済効率という観点からみれば、むしろ今でも存続していることのほうが不思議なくらいです。

逆にいえば、それでも人は舞台芸術を必要としてきたようです。「人が人の身体を見る」ということのほとんど原始的なよろこびやスリルは、そんなに簡単に手放せるものではないのでしょう。ただ、「どんな仕方で見るか」は、これまでも時代に合わせて大きく変わってきました。

日本はここ150年ほどのあいだに欧米から「芸術」や「演劇」といった枠組みを採り入れ、今ではかなり根づいています。それでも、こういった言葉を使うと、どうしても欧米が本場であるかのように思ってしまいがちです。とはいえヨーロッパの体のほうがアジアの体より見ていて面白いかというと、そうとは限らないでしょう。では本当に面白いもの、本当にスリリングなものが世界中で生まれ、評価されるようにするにはどうすればいいのか。その仕組みについて徹底的に考えないかぎり、日本の舞台芸術が世界でちゃんと評価されることもないでしょう。

一世紀以上にわたって「芸術」や「演劇」といった枠組みを「芸能」や「芝居」とすりあわせる実験をしてきた東京は、そんな新しい基準を考えるには格好の場所です。「東京芸術祭ワールドコンペティション2019」では、そのためにいくつかの実験をしてきました。

まずはアヴィニョン演劇祭をはじめとして、今まさに世界の舞台芸術界の枠組みをつくっているプロデューサーたちに推薦人になってもらい、その場で推薦理由や各地域の文脈を説明してもらうこと。こうすることで、プロデューサーたちが10年後の未来を見据えたヴィジョンを互いに共有し、それぞれ自分の価値基準を問いなおしながら、東京に集まったアーティストたちと出会うことができました。これは各舞台芸術祭のプログラムが変わっていくきっかけになるでしょうし、参加アーティストがその後世界に羽ばたくきっかけにもなるはずです。

次に、新しい作品の価値を見極めるために、実際に世界各地で価値基準を更新してきたアーティストたちに審査員になってもらうこと。審査員とアーティストとのあいだにも、審査員同士のあいだにも多くの対話が生まれました。これは新たなコラボレーションのきっかけにもなるかもしれません。

そして、日本語を自身の表現手段として選び取った世界各地出身の批評家に、日本語で審査してもらうこと。価値基準は言語に大きく依存しています。英語で議論をすると、どうしても英語圏の文脈、価値観がベースになりがちです。アジア、オセアニア、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、日本と、それぞれの視点から日本語で議論してもらうことで、日本語の批評に新たな視点を導入することもできました。

アーティスト審査員、批評家審査員とも、ここではじめて出会う方が多かったのですが、私が想像した以上に、毎日何時間も対話を交わして信頼関係を築き、熾烈な議論の末に受賞作を選んでくれました。

最後に、東京に集まった観客に、「今、ここ」の体感で、作品を評価してもらうこと。この観客の評価と、日本語で議論をした批評家たちの評価が一致したのも、納得の結果でした。

世界各地で舞台芸術界を牽引してきたプロデューサー、アーティスト、批評家、そして東京の観客が選んだ戴陳連『紫気東来―ビッグ・ナッシング』とボノボ『汝、愛せよ』の二作品は、これからの10年を考えるうえで欠かせない作品となるでしょう。お見逃しなく。

2020/09/18 

横山義志(よこやま・よしじ)

東京芸術祭国際事業 ディレクター/東京芸術祭ワールドコンペティション ディレクター

1977年千葉市生まれ。中学・高校・大学と東京に通学。2000年に渡仏し、2008年にパリ第10大学演劇科で博士号を取得。専門は西洋演技理論史。2007年から SPAC-静岡県舞台芸術センター制作部、2009年から同文芸部に勤務。主に海外招聘プログラムを担当し、二十数カ国を視察。2014年からアジア・プロデューサーズ・プラットフォーム(APP)メンバー。2016年、アジア・センター・フェローシップにより東南アジア三カ国視察ののち、アジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)グランティーとしてニューヨークに滞在し、アジアの同時代的舞台芸術について考える。学習院大学非常勤講師。論文に「アリストテレスの演技論 非音楽劇の理論的起源」、翻訳にジョエル・ポムラ『時の商人』など。舞台芸術制作者オープンネットワーク(ON-PAM)理事、政策提言調査室担当。