江川太洋

創作垢。読書垢。無職。人間塵芥系の小説を好んで読み書きする。積ん読茶帯。実は文学者志望…

江川太洋

創作垢。読書垢。無職。人間塵芥系の小説を好んで読み書きする。積ん読茶帯。実は文学者志望だが、恥ずかしくてカミングアウトできずにいる。無名ブロガー。主にホラー小説について綴る。 ブログ「デッドマン・ライティング」https://deadmanwritingblog.com/

最近の記事

お願いしたいこと

 思えば先輩とは、散々飲みましたね。  先輩は壁中お品書きだらけみたいな安い居酒屋が好きで、女二人で串盛りとかコーンバターとか、らしくないものを突いて飲むのは本当に楽しかったですね。  あの時のこともよく覚えてます。  私が肴のつもりで、新入社員が入ったということで鹿波の話をすると、いつもみたいに目を細めて私に言いましたよね。 「あのさ、あんた脇甘いから一応言っとくけど、目付けられる隙見せちゃ駄目だよ」  私はその時、先輩に杞憂だと笑って、大丈夫と請け合いましたね。  私た

    • 不機嫌猿

       ふるさとは遠きにありて思ふもの。そう考えながら私は暗い台所で食器を洗っている。今年の冬の寒さのせいで水道水の冷たさも世間を凌ぎ、私は自身の両手の惨状を憂いている。すっかりがさ付いた自身の手に、私は昭和という時代を感じている。今の私と同じように、水の冷たさで手をあかぎれだらけにした母が、両手の甲にオロナイン軟膏を擦り込んでいた幼少の記憶の断片を思い出す。  鍋を水洗いする私の指は膨らんで茶色く変色し、ふやけた葉巻みたいになっている。関節周りの肉が腫れてよく指が曲がらず、無理に

      • 避暑地

         山に囲まれた高温多湿の窪地を、住人たちは避暑地と呼んでいた。夏の日陰みたいな物憂さと済ました静けさが、軽井沢を彷彿とさせるらしかった。  避暑地は湖畔沿いに点在する集落で、湖に面した二階建ての、白く四角い建物が私の勤める役場だった。私は生活環境課の職員で、ここに住む孤独な高齢者たちには、窓口に陳情したいことが山のようにあった。長椅子の列は病院の待合室並みに、常に人で埋まっていた。まともな陳情はほぼなかった。  田坂という萎れた老女は、蟻の群れが発する、行列のパターンに形象化

        • 二〇二〇年のホームカミング

           実家もわたしも四十四歳だ。  そのせいか、わたしは二つ違いの兄よりも、二階建てで赤い煉瓦に覆われたこの家の方がよっぽど肉親みたいに感じられる。次男のわたしが生まれてわたしたち一家は、墓地を見下ろす坂の上の捨てられた段ボールの束みたいな家から、つきみ野の住宅地に移ってきた。  最初から最後まで家で暮らした母はとうの昔に世を去り、父にせよ兄にせよ、わたしたち一家の男たちはどういう理由か一度は家を出て、また数年から十数年すると家に戻ってきた。今、家には父と兄が男二人で住み、わたし

        お願いしたいこと

          集合写真

           サービスエリアで停車した観光バスから降りた、県立偕成高校一年二組の男女二十七人の生徒は、担任の小原の指示に従ってバス前で三列に並んだ。 健太が前列中央でしゃがむと、左隣りの市原がふざけて健太の奥襟を摑んできた。右隣りからも桜井の手が伸び、小原が顔の前に掲げるスマホに健太が大袈裟な狼狽の表情を向けると、市原と桜井が猿のような笑い声を上げた。  小休止の後にバスは、伊香保グリーン牧場を目指して関越道を快調に飛ばしていたが、花園インターチェンジ付近で右後輪のタイヤをパンクさせて右

          集合写真