AIとChatGPTと「こころ」

人口知能の「AI」がもてはやされる時代になりました。
「AI」が私たちの社会で脚光を浴びています。
スマフォでさらっと使える民生化された技術になっています。
意外と知られていないところでは、「AI」は金融工学で使われ、
金融市場においてAIが取引を行う世の中になったことだろう。

最近はChatGPTなるものが随分マスコミで騒がれています。
Googleも対抗するように「Bard」を発表しました。
そして、この春には、大学が学生にChatGPTで論文やレポートを書くことを禁止したと報道がありました。
確かにChatGPTにプラグインを組み合わせれば、
学校や仕事で大活躍できるだろうと思います。

[AI」で絵も描ける時代だから、「AI」は創造性があるという人もいるかもしれません。「AI」を使うなとは言うつもりはありません。
ただ、社会に投げかけたいことがあるのです。それは

---------「AI」は諸刃の剣である。-----------
ということです。

「AI」がデジタル化された膨大なデータを集約しているから、ChatGPTは課題に対して文章を作るということができます。
その「AI」が出した答えに対して、人はそれが「模範解答」だと思ってしまう事に危機感を感じるのです。
膨大なデータの集約時には、少数派の意見は無視されることになる。
つまりマスメディアの代弁者となんら変わらない仕組みがそこにある。

「AI」は「利口=すごい」とされ「真理」に置き換えられ神格化されでしょう。
権力者にとってそんな仕組みは、マスメディアをつかった世論誘導より効果的な時があると思ってしまうのです。

先日、日本映画の名作「男はついらよ」シリーズを観ました。寅さんがマドンナとうまくいきそうなのに、寅さんは自らマドンナから逃げるように旅に出てしまいます。たくさんの映画ファンが知っている光景です。
そこで「AI」、ChatGPTにこんな質問をしてみるとしましょう。

「映画・男はつらいよの中で、寅さんはどうして自分の幸せをあきらめてしまうの?」
こたえられるはずがありません。

文豪・宮沢賢治著の「銀河鉄道の夜」の中で、友達のために命を懸けたカンパネルラは途中の駅で降ろされるのに、ジョバンニはなぜ銀河鉄道にのりつづけられたのか?」そんな質問をChatGPTに聞いてもわかるはずがありません。

なぜか。膨大なデータを集積する能力がいかに長けていても、
人の「こころ」がないからです。
身をを焦がすような「恋」なんて「AI」にはできないからです。
親が子供に捧げる「無償の愛」のように人を愛しむ心がデジタル化されたデータではないからです。

「諸刃の剣」とか「こころ」がないとか、「AI」にきついことを言ってきましたが、ここまできて別の感情が湧きました。

感情がないのが分かっていても、「AI」は寂しそう・・・・。

「AI」をローマ字変換すれば「愛」なのに。



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