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金子玲介「死んだ石井の大群」作者の名前は覚えてなくても本のタイトルは覚えている

前作の「死んだ山田と教室」は、事故で突然死んだクラスの人気者が教室のスピーカーになって蘇るという奇妙奇天烈な小説だった。しかも呼び出す時には、普段絶対に口に出さないであろう言葉を合言葉にしようということで「おちんちん体操第二」にする。誰かが「おちんちん体操第二」と唱えると、亡くなった山田の憑依したスピーカーから声が聞こえる。死んだ山田は暇を持て余し、深夜に一人でディスクジョッキーをする。うーん、完全脱力系の物語だ。しかしラストは意外にもセンチメンタルな気持ちになり、読後感がいいという不思議な作品。
プロモーションのサイト展開も今どき。天下の講談社という構えもなく、令和のポップを実現している。

そして立て続けに発表された第二作もなかなかの珍作。今度はバトロワ系の怪作だ。
部屋に閉じ込められた333人の石井。様々な老若男女で構成された同じ苗字の333人。ゲームで争い、負けたものは命を落とし、そして最後に残ったたった一人が生き残れるというデスサバイバル物語。ラノベテイストで展開していくが、もちろん一筋縄では行かない。きちんと納得の仕掛けもあり、さすがと唸らされる。
しかもきちんと筆力もあり、物語の構成力も立派。侮れない令和の実力なのである。

作者はメフィスト賞の受賞作家。この賞こそ、まさに令和世代の文学賞だ。別に純文学だとかエンタテインメントだとか構えることもなく、ただ読者が読みたいものをひたすらに提供するための賞。「ゴリラ裁判の日」という珍作があったかと思えば、「線は、僕を描く」という普通に素敵な青春小説があったりする。なかなか振り幅の広いユニークな文学新人賞、テレビ業界でよく言う「Z世代」の文学賞だ。
本はマテリアルで読むものから電子データで読むものに変わっていった。ならばその中身だって変わって然るべきだ。その代表が「メフィスト賞」である。歴史ある新人発掘の文学賞が、電子書籍の時代にフィットした文学賞に見事に変容した。
変わるべきところは変えて、守るべきは変えない。その好例を「メフィスト賞」に見た気がする。
<8月上旬発売>

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