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ドキュメンタリー映画「大きな家」どうやって取材対象者との関係値を作れたのか

児童養護施設を長く取材したドキュメンタリー。そこに暮らす子供たちに密着取材している。子供たちは実名、顔出しで取材している。テレビでよくある日和ったモザイクは一切ない。
しかしその代わり、映画の初めと最後に監督からのメッセージが入る。「子供たちのことを探ったり、SNSで発信したりしないで欲しい」
取材対象者をきちんと守り抜くという監督の決意がここにはある。

欧米式のノーナレーション。数名の子どもに特にスポット当て、それぞれの物語を紹介するオムニバス形式。
このドキュメンタリー、最初はどこに向かっているのか全くわからない。
しかしやがて「家族」をテーマにしていることがわかってくる。
子供にとっては、施設は「暮らす場所」であり「家族、家庭」ではないという。しかし18歳になって施設を卒業した者は「そこは家庭だった」と語る。そしてカンボジアの養護施設の子どもは施設の仲間を「家族」という。
「家族とは」「家庭とは」を考えると、答えに詰まってしまう。
そして、映画のタイトルが「大きな家」である必然性に気づかされる。

ただ同じくドキュメンタリーを作った制作経験から感じたのは、どこかの段階で第三者の目がもう少し入っても良かったのではということ。テレビのドキュメンタリーでは、プロデューサーと構成作家が第三者的に構成や繋ぎにダメ出しをして、ブラッシュアップさせていく。ディレクターの個性や主張は尊重しながらも、第三者の冷静な感覚で意見を言い、集合知でよりいい作品に仕上げていくのだ。ディレクターが自分で編集できるのに、あえて編集マンを使うのもそんな第三者の目が欲しいから。
ディレクターは、思い入れのあるカット、時間がかかったり撮るのが大変だったカットはなかなか落とせない。でも全体の流れの中で、不必要なカットは落とすべきなのだ。そこを冷静に判断してくれるのが編集マンということだ。
ちょっと引いた目があれば、まだまだブラッシュアップできる余地があるのでは。素材は素晴らしいし、いいカットもいい表情も撮れている。ノーナレーションでここまで展開できるのも素晴らしい。でもまだまだ伸び代がありそうなところがちょっともったいないという感じ。
まあ余計なお世話で、ドキュメンタリーとしてはきっちりと時間をかけて撮っているし、完成度も高い。
そして配信やマテリアルにはできないコンテンツなので、劇場で観なければいけない映画でもある。
ちなみに、企画・プロデューサーは斎藤工。さすがの映画人だ。

<2024年12月公開予定>

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