青山美智子「リカバリー・カバヒコ」

公園に置かれているカバのアニマルライド。「自分の身体の治したいところと同じ場所を擦ると、治る」という伝説がある「リカパリー・カバヒコ」だ。ちょっとどうかなと思う設定だが、これが絶妙。実写のドラマとかになると途端に気持ちが冷めていってしまいそうな設定だが、小説ならではの魔法で実に共感できる。すごくいい、このファンタジー。

この「リカバリー・カバヒコ」をめぐる連作短編集だが、特に最初の作品にものすごく共感した。
中学時代はけっこう勉強ができた主人公、しかし優秀な生徒集まる高校に行くと、途端に下位の成績になってしまう。この感覚、ものすごく共感する。
私も中学ではそこそこ成績が良く、都内でも成績優秀な生徒の集まる高校に行った。実はこの高校、全くの放任主義で、大学進学の成績がいいのは、もともと地頭のいい生徒が集まっていて、しかも自分でしっかりと勉強しているので多くがいい大学に進学していたからなのだ。そのあたりの事情がわからない私は、高校生活の前半はバスケット部で運動漬け、後半からは映画漬けとなって名画座通いの日々を送って、勉強はほとんどしなかった。しかし学校内での成績はそんなに悪くない。なぜなら、高校では実用的な、いわゆる受験勉強は教えない。リベラルアーツばかりを教える特殊な高校だったからだ。そのジャンルならばまあまあの成績を取れていた。
しかしさすがに高校三年生の夏にもなると、大学受験をしなければということで予備校の模試を受ける。すると成績が一万を遥かに超える順位ということに大きなショックを受ける。それまでの順位は、全国で良ければ二桁、せいぜいが三桁で四桁さえ取ったことがなかった。それがいきなりの五桁だ。これはびっくりした。
しかし当然である。なぜならば、受験勉強は全くやっていなかったからだ。文学や音楽などのリベラルアーツにいくら詳しくても、受験勉強にはまったくもって歯が立たない。ここで初めて、自分が高校で学んだことは受験勉強ではなかったことに気がつくのだ。
そしてここから慌てて受験勉強を始めるが、もちろん全く間に合わない。見事に浪人である。
心を入れ替えて勉強したので、一年の浪人生活で大学にはなんとか潜り込めた。
もし当時の私の前に「リカバリー・カバヒコ」があったならば、この主人公と同じように自分の人生をリカバリーできただろうか。
ほかにも生活の中でふと感じる不安、不満に対して、「リカバリー・カバヒコ」は素晴らしい素晴らしい解決を導いてくれる。
しかし「リカバリー・カバヒコ」はがっつり寄り添って導くのではない。解決へのきっかけを作ってくれるだけだ。解決に進むのは、あくまでも自分なのだから。
作者の優しい導きに満ちたこの作品、世界を、そして人生を信じて生きていいのかもと明るい気持ちになった。

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