一穂ミチ「恋とか愛とかやさしさなら」生理は全てを超越する

芥川賞直木賞の記事を読んでいたら、覆面作家の話が出ていた。今回のノミネートのうち3人が顔出しNGの覆面作家だったという。直木賞の受賞者である一穂ミチさんもその一人だったが、受賞を機にマスク姿を解禁した。この匿名性、今どきである。承認欲求が肥大化している現代だからこそ、真っ当な精神の持ち主であれば個人情報を秘匿して匿名であることを選択する。一穂さんのマスク姿、個人的には好感爆上がりだ。
そしてこの新作も、ものすごく興味深かった。夕食の後ちょっとだけ読もうとしたところ、あまりに没頭して一気に最後まで読んでしまった。

ちょっと仕事で盗撮犯を扱うテレビ番組を観る機会があった。何人かの犯行の現場を取材しているのだが、そのいずれの人も出来心ではなく、常習の人だった。たいていの人にとって「盗撮」のどこがいいのかよくわからない。私は「パチンコ」も「タバコ」も「サウナ」もとりあえず試してみたが、どこがいいのかわからないが、なんとなく好きな人がいることは納得できる。しかし「盗撮」は試していないが、どこがいいのかわからない。好きな人のことも全く理解できない。
だが、人が理解できない喜びというのは往々にして奥が深いものだから、ハマれば沼にハマり込んでしまうのだろう。それだけは納得できる。

この小説は、カメラマンの女性がプロポーズされた翌日、その相手が盗撮で捕まってしまうというなかなかの書き出しから始まる。この盗撮というのが絶妙な設定だ。これが痴漢であれば、ちょっと印象が違う。痴漢ならば、ポジティブな性欲の正しい「間違った発散」と納得できるが、盗撮となるとまず理解されない感じがする。しかもそれが(ほぼ)家族となればなおさらだ。
殺人の加害者家族についてのノンフィクションを読んだことがある。それと比べてはいけないのだろうが、盗撮の加害者家族もけっこう辛いものがありそうだ。まず理解の域を外れているということが、何よりの苦痛になるのではと感じる。
この本は大きく二部構成になっていて、事件が起きてそれからの展開が前半。後半はさらに先の展開になっていくが、確かにそういう人は絶対にいそうと思える人物がつるべ打ちに登場する。イライラするくらい「いる、いる」とうなづいてしまう。

まだ直木賞受賞作は読んでいない。だがこの本を読んで、すぐに読まなければという気持ちにさせられた。もしかすると明日突然何かで死んでしまうかもしれない。読まずに死んで後悔しないためにもすぐに読まなければ、そんな焦燥感に囚われた。あれっ。
<10月30日発売予定 ずいぶん先>

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