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#91 インドの民話

 あるところに、99頭の牛を持った欲深い金持ちが住んでいました。男は、牛をあと1頭手に入れて100頭にしたいと思い、思案を巡らせた結果、遠くの町に住む1人の幼なじみを思い出しました。男はボロボロの服を着て、体中を泥で汚し、その幼なじみのところに行きました。
 幼なじみはびっくりして言いました、「どうしたんだ! おまえ、その格好は?」
 すると男は言いました、「実は事業に失敗して食べるものもないんだ。家族にも逃げられた。オレはもう死ぬしかない」
 幼なじみは驚いて、「そうか、そんなに困っているのか。ワシは牛1頭しか持ってないが、これがなくても生活は何とかできる。おまえ、これ持って帰れ」と言って、たった1頭の牛を男に譲ってあげたのです。
 男はウソの涙を流しながら、「おまえのおかげで助かった」と、牛を連れて帰りました。


 ー「しめしめ、やっと100頭になったわ。」ー


 喜びに浸りながら男は眠りにつき、一方、牛を譲った幼なじみも、「今日は人助けができて本当によかった」と思いながら、喜びの中、眠りにつきました。

 ここでインドの民話は、読者に向かってこう問いかけます。

 「さて、どちらの男の喜びのほうがより深いでしょうか?」


 金持ちの喜びはたったひと晩の喜びです。彼は翌日目が醒めると、
 「切りのいい100頭になった。さあ次は、目標150頭でがんばるぞ!」と考え始めるのではないでしょうか。人間の欲というのは、際限なく大きくなっていきますから、その広がっていく欲望の中へ男の喜びは、きっと消えていってしまうことでしょう。
 すると、彼が所有する100頭の牛は、その瞬間に、マイナス50頭になります。マイナス50頭は、ゼロ以下です。そして彼は、これをマイナス40にするために、さらにマイナス30、マイナス20にするために、あくせく、いらいら、がつがつ…として、また人をだます人生を送らなければなりません。
 それでも150頭にできるとは限りませんが、かりに150頭にできたとしても、その喜びはたったひと晩です。彼は、次は目標200頭でがんばらねばなりません。そして「あくせく、いらいら、がつがつ」の人生の循環から抜け出すことができなく、結局は自分の欲望に押しつぶされていってしまうのではないでしょうか。

 それに対して貧しい男の喜びは本物です。彼は妻と力を合わせて働き、のんびり、ゆったりと生きることができます。たった1頭しか持たない牛を友人に布施できるのですから、彼はがつがつはしません。あくせくはしません。「のんびり、ゆったり」と人生を楽しむことができるのです。

 つまり人間というのは、「してもらった喜び」よりも「してあげた喜び」のほうがより深いし、大きいということなのです。

 我々も、「してあげる喜び」を持てるよう努力してゆきたいものです。

​ 最後までお読みいただき、ありがとうございました。



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