#123 それでもなお・・・(自分を磨く言葉)
仕事とは、人にまみれてするものです。上司、同僚、部下、取引先、お客(学校だと、保護者や地域の方など)。そこには、実に様々な人がいるものです。人格者もいれば、わがままな人もいます。押しの強い人もいれば、弱い人もいます。仕事のできる人もいれば、できない人もいます。好きな人もいれば、嫌いな人もいます。
そして、私たちは一緒に仕事をする相手を、基本的に選ぶことはできません。
そうした人間の渦の中で、私たちは一つの仕事をやり遂げなければいけないのです。必ずしも自分が思うように事が進むわけではありません。最善を尽くしても力が及ばないこともあれば、理不尽な非難の矢面に立たされることもあります。時に深く傷つき、疲れ果てることもあります。そのような時、誰しも、嫉妬、嘘、悪口、支配欲など「負」の感情に飲み込まれてしまいそうになることがあります。人によってはどっぷり浸かってしまうこともあるかと思います。私だって何度も「負」の感情にとらわれそうになることがありました。そんな時、なんと人間は弱い生き物だとつくづく私は思いました。
私は歴史が好きだったので、ガンジーやマザーテレサなどの歴史上の偉人と言われる人々はそんな時どうしたのだろうと考えてみました。ガンジーやマザーテレサは今だからこそ聖人君子のように扱われていますが、彼らも人の子です。おそらく「負」の感情にとらわれそうになったことが必ずあったはずです。しかし、自分を磨き上げ、物欲や支配欲、嫉妬、悪口から離れ、すべての人を愛する境地に立つことができたのだと思います。もちろん私などガンジーやマザーテレサのような聖人君子のレベルに到達することはできないかも知れませんが、少なくとも彼らを目標として生きていくことはできるはずです。そして自分なりに「負」の感情を克服しようと努力してみたこともありました。「自分を磨き続けること」これこそ人として生きていく上での根源的な志だと思います。
そうして日々努力していけば、次第に人間として高みに登っていくことができ、少しは人に慕われ、尊敬される存在になることができるのだと思いました。
でも、自分を磨き続けるためにはどうしたらよいか?
そんな時に「それでもなお」という言葉に出会ったのです。
みなさんもこれまでの人生経験から、納得する部分があるかと思います。確かに現実社会において、「人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在」です。「何か良いことをすれば、隠された利己的な動機があるはずだと人に責められる」「人は弱者をひいきにはするが、勝者の後にしかついていかない」。どれも、現実です。しかし、ケント・M・キースという人は「それでもなお」と、さらにもう一歩踏み出していこうと言っているのです。
これこそまさしく「自分を磨く」ための言葉だと思いました。
何も難しいことを実践するのではありません。
例えば、朝出勤して、あなたが元気に「おはようございます」と挨拶しても、ブスッとして挨拶を返さない人がいるとします。面白くないですね。それでもなお、次の日の朝に、元気に挨拶をしていくのです。
あるいは懸命に取り組んだ仕事が失敗したとします。周りの人はあなたの努力を分かろうともしないで叱責するかも知れません。傷つきますね。それでもなお、次の仕事に懸命に取り組んでいくのです。
このように、日常の仕事のなかで「それでもなお」を積み重ねていくことで、私たちは人間として成長していくことができると思います。おそらくガンジーやマザーテレサもそうだったのだと思います。きっとこの言葉の実践を積み重ねていったのだと私は思います。
私はもっと若いときにこの言葉に出会っていたらなぁとつくづく思います。だからこそ、今の若い人にこの言葉を実践して欲しいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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