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#102 蒼い岸辺にて

 ふと気になったことがあったので、日本では年間どのくらいの人が自殺しているのか調べてみました。一番多かったのが平成15年(2003年)の34427人でした。令和になってからは3万人は割っても2万人台をキープしたまま今年に入っています。(厚生労働省自殺対策推進室調べより)統計を見る限り、自殺者は減少していますが、これが限りなく0になって欲しいと願ってやみません。

 私たちは生きる時代を選べません。人の歴史を振り返ってみると、出自(家柄)で人生が決まっていた人権なき時代、生きたくても生きられなかった戦争の時代、食べることさえ困難だった貧しい時代、そんな時代をくぐり抜けてやっと自由と平和と豊かさを手に入れることができる時代になったのに、ここで自ら命を絶ってしまってどうしたものかと私は思います。少し見方を変えれば苦しい現実を乗り越えるすべはいくらでもあるのではないでしょうか。

 もし、この話を自殺する人が読んでいたらという短編小説を今日は紹介します。作者は朱川湊人「蒼い岸辺にて」という作品です。この話の主人公は、生きていくことがつらくて自分の部屋で睡眠薬を大量に飲み、自殺を図った20歳のさおりと言う女性です。以下要約です。

​ さおりは青い世界を裸足で歩いていた。気がつくと目の前に大きな川があった。そこに口の悪い真っ白な髪の男が現れた。
 その男は「今から向こう岸に連れて行くので船に乗れ」と言う。ところがやってきたその女をじっと見て、男は嫌な顔をする。
 「なんだおまえ、寿命前か。厄介なのが来たな」と。
 やっかいな理由はこういうことだった。亡くなった人は皆、この岸辺で「魂離れ」をする。寿命でなくなると、焦げつかないフライパンで目玉焼きを作ったみたいに魂がきれいに体から離れ、川を渡って向こう岸に行ける。
 しかし、寿命前に自ら命を返した人は、鉄のフライパンで油もひかずに目玉焼きを作ったようなもの。魂が体にへばりついてなかなか離れない。
 船頭役の男は、魂が体から離れるまで待たなければならないのだ。
 「じゃあ待っている間に『未来ゴミ』を捨てておくか」と言って男は大きな袋を女に見せ、中から卵のような形をしたものを取りだした。
 「何なの?」と聞く女に男は言った。「これはおまえがこれから掴むはずだった未来だ。しかし、自分の都合で命を返したヤツにとってはそういう未来が全部ゴミになるからこれから処分するんだ」と言って川に投げ込んでいく。
 男は少し意地悪に「これは何だと思う?」と言って、『未来ゴミ』の中身を教える。
 「これはお前の高校時代の同級生・×山○子との友情だ。もし生きていたら2ヶ月後に偶然街角で彼女と再会し、意気投合して、それ以来、生涯の親友となるはずだったが、おまえが死んだのでその未来がなくなった」、そう言って川に投げ込んだ。
 次の『未来ゴミ』は1年後に出会うはずだった恋人。「その恋人は二股をかけていて、おまえは失恋するんだ。でも、その失恋はおまえの人生には必要だった。おまえは失恋をバネにしてダイエットに成功し、化粧の勉強もして、見違えるほどきれいになる」と男はいう。
 そして「結婚して二児の母になる」という『未来のゴミ』も処分される。処分しないと彼女と結婚するはずだった男性は別の女性と出会えないからだ。
 「将来出版するはずだった絵本」という『未来ゴミ』もあった。女は子どもの頃から絵本作家になるのが夢だったが、自分には才能がないとあきらめていた。
 「そう思い続けて生きるのはおまえの自由だ。しかし、努力は時として才能を超えるぜ」、男はさらに「これはあくまで卵なのだから、努力しなければ手に入らないぞ。生きるも自由、死ぬも自由だが、生きる方が断然おもしろい」と続けた。また「この世の苦労は障害物競走の『はしごくぐり』程度なんだよ」とも言った。「肩がひっかかってくぐりぬけられない程度のものさ。今病院ではお前の家族、友達が泣きながら、祈っているところさ。」
 そう言って男は残念そうにその『未来ゴミ』も川に投げ捨てた。そうこうしているうちに、「魂離れ」は進み、男は女を乗せ、岸を離れる。
 女の体と魂をつないでいたものが1本の糸ほどの細さになった時、女は男に懇願する。

「もう一度生きたい」と。 

 未来をゴミにしてしまうか、かけがえのない宝にするかは、どんなにつらくても生きていくことが大事なのですね。どんな未来が待っているか分からないけど、そこに希望を持ち生きていく方が断然おもしろいわけです。

 自殺は人間だけがするものです。牛やぶたが自殺したなんてことは聞いたことがありません。なぜなら牛やぶたは生きることの意味や希望を持っていないからだと思います。人間だけが自分が生きることの意味を考え、希望を持つことができるから、逆に絶望することもあるのです。だから自殺をしてしまうのかもしれません。自ら命を絶つということは、自分にとっての未来がすべてゴミになってしまうということを心の片隅にしまっておきたいものです。

 最後に男がさおりに言った言葉です。

「でも忘れちゃなんねぇのは、勝手にうまい話が、向こうから転がりこんで来てくれるわけじゃねぇってことだ…どれもこれも、しょせんは卵に過ぎねぇんだからな。育てないと孵らねぇんだよ。」

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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