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#26 目的と目標2

 目的を見失わず持つことの大切さを考えさせられる一つのエピソードを紹介します。

 一組の将来を誓い合ったカップルがいました。彼女の誕生日が近づいていることを知った彼は、彼女を喜ばせたいと思って一つのプレゼントを思いつきます。競争倍率30 倍とも50 倍とも言われる超人気の豪華客船に乗ってのディナークルーズです。
 彼は何人もの友だちの協力を得て、奇跡的に2枚のプラチナ・チケットを手に入れます。サプライズにしようと思って彼女には内緒にしました。「何時にどこどこに。絶対に遅れないで。」とだけ伝えました。ところが、誕生日当日、彼女はたわいもない理由から大幅に遅刻してしまいました。船は2人を置いて虚しく港を出て行きました。
 待ち合わせ場所に遅れてやって来た彼女を、彼は2枚のチケットを叩き付けて叱り飛ばします。チケットを手に取り、すべてを知った彼女は驚き、謝ります。しかし彼は許すことなく、彼女を置き去りにして帰ってしまいました。これがきっかけとなり、そのカップルは破局を迎えてしまいました。

 彼が2枚のチケットを手に入れた目的は何のためでしたか?

  彼女の誕生を祝い、喜ばせるためだったはずです。もし彼が最後の最後までその「目的」を見失わなければ、クルーズに乗ることはできませんでしたが、遅れてきた彼女を喜ばせる方法はいくらでもあったはずです。でも、目的が途中ですり替わってしまっていたので、もはや彼には遅れてきた彼女を許すことができなかったのです。
 人間にとっていかに目的をしっかり持ち、それを見失わないことが大切か、です。しかし、このように目的を見失った途端、人生は当初の目論見とは全く違う方向へと進み出してしまうのです。

 人間は、目的のない行為を続けることなど絶対にできなものです。戦争中にナチスがユダヤ人に行なったと言われる拷問に、1日かけて大きな穴を掘らせて、翌日にその穴を埋めさせる。3日目にまた同じ穴を掘らせて、4日目にその穴を埋めさせる。これを延々と繰り返し行なわせるというものです。普通の人は、穴を掘る、それを埋めるといった行為が繰り返されることに意味を見いだせないので自分がしている行為に耐えられなくなって、気が狂う人もいたと言われています。このことから、人は意味のないことをし続けることはできないことがわかります。

 会社の経営企画会議や学校の職員会議の提案などにも必ず最初に目的(ねらい)が書かれています。しかし、「目的については各自で読んでおいてください。」と、一番大事にしなければならない目的の共通認識をすることなしに各論(方法論)に入っていってしまうことがよくあります。そして、目的を共通理解していないがために、その次の各論や方法論でブレてしまい、みんなで右往左往していることがよくあるものです。本来の目的を達成することよりも、各論の小さなことが優先されてしまうといったことはないでしょうか。

 研究授業などでも、授業者が本時に色々なことを盛り込みすぎてしまい、本時のねらいがかすんでしまっている展開などをよく見かけます。
 

 いつも目的を意識すること、これが大事なのはわかっていてもつい目先のことに気をとられ横道にそれていってしまうなんてことがないようにしていきたいものです。
 そのためには、常に「何のために」を自問していくことではないでしょうか?

①何のために学校はあるのか

②何のために勉強するのか

③何のために教室で朝の会や帰りの会をするのか

④何のために教科以外の学校行事をするのか

⑤何のために職員会議をするのか

⑥何のために研究授業をするのか などなど

 案外と「そういうものだから…」で思考停止してしまっていることはないでしょうか?学校では本来の目的がしっかり顧みられることなく、形骸化してしまっている教育活動が少なからずあると思います。目的をしっかり確認することは、形骸化した教育活動にもう一度魂を吹き込むことになると私は思います。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。  


 

        

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