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#117 コスパの落とし穴

 コスパとは、できるだけ「低予算・短時間・低労力」でよいモノを手に入れたいという考えです。誰でもお金はかけたくないし、無駄な時間は使いたくないし、骨折り損はしたくないですからね。それは「費用対効果」をものさしにして意思決定をすることだとも言えます。つまり言い換えるとそれ以外の部分は過小評価してしまうことになるわけです。
 このコスパで目先のメリットを追い求める生き方と真逆の生き方が直感的な生き方です。直感的思考から心の赴くままに意思決定するという事はある意味でリスクが大きいです。直感は根拠もなく選択・判断してしまいますから。
 
 例えば、「東京から大阪に行くのにどんな交通手段がいいのか。」について考えてみましょう。

 もちろん人によって考えが分かれるかもしれませんが、飛行機は時間が早いけどコストは高い、夜行バスは安いけど時間がかかる、新幹線はその中間くらい、でも乗り心地がいいけどコストは高い。いや飛行機はチェックインチェックアウトの時間やら都心部へのアクセスの時間も含めると割高か、夜行バスは睡眠時間を有効活用して移動すると考えれば一番よいのかも?…などといった比較検討が頭の中で展開されるのではないでしょか。

 ここで、まず普通は絶対候補に上がらない手段である、「自転車で行く」ことを選択して考えてみたいと思います。

 これは、とにかく時間は途方もなくかかる、ということは宿泊代や食費もかかる、何より体力はめちゃめちゃ消耗する、よってコスパ重視という点からはほど遠い最悪の手段だといえます。

 しかし、もしコスパという観点を捨てて考えなおして見た場合、最悪とは言えなくなってきませんでしょうか。

 例えば道端に咲く小さな花に目が止まったり、小鳥のさえずりが聞こえてきたり、食べたことのなかった郷土料理が美味しかったり、絶景に心を奪われたり、ポツンとたたずむオシャレなカフェを見つけたり、また来たくなるくらい、いや移住してもいいと思えるくらいたまたま立ち寄った町を好きになったり、かけがえのない人との出会いがあったり、都会とは違う緩やかな時間の流れにホッとしたり、そういう何て言うんでしょう、最初は気が進まなかったけど振り返ってみるとやってよかったと思えるような、想定外の恩恵や感動が待っていたりするわけです。

 つまり、事前には見えないけど「後になって気づく価値」というものが存在するということですね。
 
 確かに失敗はしたくないし、無駄な時間は減らしたい。コスパを求めていけば、生活は効率化しますし、便利になります。でもそれが正解かどうかを選ぶのはあくまで自分自身です。そして本当にそれが正しいのかを最終的に結論付けるのは案外直感だったりします。

 わかりきっている正解の範囲内で選ぶのか、新しい未知の意外性を知るのかはどちらがよいのでしょうか。

 コスパ「だけ」を追及した人生とは、外側ばかりが立派で中身の少ない人生ではないでしょうか。人生には数値化されたシンプルな目標なんて存在しないので、何をもってコスパがよいのかの基準を持つことは難しいです。
特に100年時代と言われている現代は人生の目標が移り変わります。人が何に、どれだけ価値を感じるかということは、時間や関係性によって、常に変化するものです。
 人間は成長しますし、価値観も変わっていきます。コスパは今の自分が持つ見識に大きく依存したものです。そうなると結局たいていの人は外側だけを埋めることに必死になります。しかし人生はそんなものでしょうか?自分のワクワク感や、自分の感動を満たしていくのも人生ではないでしょうか。
 コスパの追求は、既存の大衆的な文化を追うフォロワーのようなものです。確かに効率的だし、みんな一緒の同調精神で生きていけるので楽かもしれませんが、そこからは自発的な好奇心等は生まれませんので、自分の中の感動とかそういったものが生まれなくなります。
 またもしコスパのよい人生を追求して失敗したら、不幸せになるしかないのも明らかです。なぜならコスパ以外の人生を許容していないので、失敗するとコスパという効率的な生き方が出来にくくなるからです。そうなった時に本当にそれはコスパがいいとはたして言えるのでしょうか。コスパのよい生き方というのは、「最高」も「最低」も含めて、分布の中で無難な中央値的なものだけを選んでいくということであり、無難なところを歩くことになるが感動もないと思います。常に挑戦や冒険をし続けるにはリスクはありますが、ここぞという時は挑戦しないとマンネリ化した安心コスパループ思考からは脱出することはできなくなってしまうと思います。

 コスパ重視の生き方は、既に自分の頭の中に「顕在化している価値」の範囲からしか選択肢を得られないため、一見すると効率的であったとしても実は人生の可能性を限定的に狭めてしまいかねません。その時はまだ見えない「潜在的な価値」というものが実はあって、もしそれを切り捨ててしまうことなく人生の可能性の扉を開いていこうとするのであれば、その可能性の扉との出会いは実は一見無駄に見えるものの中にあったりするものです。

 つまり、無駄、遠回り、非効率もある程度は許容していくことで、人生が限定解除され思いもかけないところへと広がっていき、本当に欲しいものがその中から見つかったりすることもあるかと思います。

 イチロー氏は言っています。
 全くミスなしでそこにたどりついたとしても、深みは出ない。遠回りすることが一番の近道だったりするもの。

 昔から「急がば回れ」とはよく言ったものですね。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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