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#103 父の時給

 残業また残業で、男が自宅に帰りにつくのはいつも深夜だった。男が帰宅したときには、妻は5歳になる息子を寝かしつけながら、そのまま一緒に寝てしまっている。二人を起こさないよう、暗いリビングで、物音も立てずに妻が用意してくれた夕食を食べる。
 唯一の楽しみのビールを飲みながら、ボリュームをしぼったテレビを少しだけ観て、シャワーを浴びて寝る。朝は、子どもが起きる前に家を出て会社に向かう。それが、一児の父親である男の毎日だった。もっと家族と会話をしなくてはいけないし、したいとも思っている。
 しかし、自分の都合で家族を起こすのは申し訳なく、また、正直なところ、その時間を睡眠にあたてたいほど、男は疲れていた。

 その日も、男は、いつも通りの遅い時間に帰宅した。
 しかし、家の中の様子は、いつもと違っていた。ドアを開けるとパジャマを着た息子がそこに待っていたのである。ふだんは、週末しか会話をすることができない息子に、父は言った。
 「まだ起きていたのか。ママはもう寝たんだろ。お前だけ起きてきたのか、悪い子だな。もう遅い時間だから、早くベッドに戻って寝なさい」
 息子の頭をなでたあと、父はその手を引いて寝室に連れて行こうとした。
 「パパ、あのね。パパに聞きたいことがあって、まっていたんだ」
 自分自身も疲れきっていたし、早く夕食を食べて寝てしまいたいところだ。親子の会話は大切だが、それは今でなくてもいい。なるべく早く切り上げたい。そう思いながら、男は答えた。
 「なんだい?」すると、息子は思いもよらないことを言い出した。
 「パパは会社ではたらいているでしょう?何時間はたらいたら、どれくらのお金がもらえるの?1時間だったら、いくら?」
 そんなことを聞いてどうする。そう思いながら父は言った。
 「お前には分からないことだよ。いいからもう寝なさい」
 「教えてくれたら寝るから。ねえ、教えて。いくらなの?」
 男は、だんだんイライラしはじめた。お金を稼ぐこのとの苦労が分からない子どもに、そんなことを教えても何にもならない。
 「なんだってそんなことを聞くんだ?知ったところで、どうなるってものでもないだろう。子どもはお金のことなんて知らなくていいんだよ」
 「どうしても知りたいの。ねえ、1時間にいくらなの?」
 息子はしつこくねばって、つないだ手をぶんぶん振りながら、教えて教えて、と懇願してきた。泣きそうな表情にも見える。
 「どれだけもらえると思う?お金をもらうってことは、本当に大変なことなんだよ。パパも頑張ってはいるけど1時間あたりにすると、そうだな、3000円くらいだな」
 それを聞いて、息子は「はぁ」と大きなため息をついた。
 「3000円かぁ・・・・・」小さくつぶやく声も聞こえた。
 あきらかにがっかりした様子の息子を見て、男は思った。もっと稼いでいるとでも思ったんだろうか。おおかた、友だちと話をしていて、「誰のパパがいちばんお金を稼いでいるか?」という話題にでもなったのだろう。小さいときからお金のことをきちんと意識するのは大事なことだろう。
 でも、お金をモノサシにような考え方は賛成できない
 1時間に3000円のお金をもらうために、自分がどんな苦労をしているのか、今度きちんと教えてやらなくてはいけない。友だちのパパに負けたからといって、そんな落胆されては、こちらのやる気もなくなってしまう。
 「もういいだろう、さっさと寝るんだ」そう言って、追い払うように子どもを寝かしつけた。

 翌日。男が深夜に帰宅したとき、またリビングに明かりが灯っていた。しかし、男の帰宅を待っていたのは、息子ではなく、妻だった。妻はおもいつめたような顔で、切り出した。
 「ねぇ、あなた。あの子ことなんだけど。今日、お金を貸してくれないかって言われたの」 
 何か買いたいものがあるから、とうわけではなく、とにかく「お金をちょうだい」の一点張りだったという。最初は言い聞かせたり、怒ったりしていた妻も、とうとう根負けして「いつかちゃんと返すこと」を条件に、1000円を貸したという。
 しかし、妻から聞かされた驚くべき話は、それだけではなかった。息子は、お駄賃をもらうことを条件に、近所の人の手伝いをしているのだという。妻も、今日はじめて知ったらしい。もちろん、もらっているのはわずかばかりの金額らしいのだが、金額の問題ではないだろう。これでは、まるで、うちが子どもに不自由をさせていると、近所に言って歩いているよなものだ。たとえ仕事に疲れていたとしても、今日ばかりはきちんと言わなければいけない。
 「悪いが、あの子を起こしてきてくれないか」そう妻に言った。
 息子は、眠たそうにまぶたをこすっていたが、家族がそろったことがうれしいのか、喜んでいるようにも見えた。
 「そこに座りなさい!」しかし、男の怒気をはらんだ声に、場の空気を読み、うつむいた。
 「近所の人にお金をもらっているそうじゃないか。何でそんなことをしているんだ。お前が何不自由なく暮らせように、パパは毎日遅くまで働いているんだ。お菓子やおもちゃだって、欲しいものがあれば買ってあげているだろう。住む家も、洋服もある。それで十分だろう」
 息子は、くやしそうにくちびるを噛んで、目には涙を浮かべている。悪いことをしているわけではない、という思いがあるのだろう。たしかに罪を犯したわけでも、嘘をついたわけでもない。しかし・・・・・。
 「お金を稼ぐことがどれだけ大変かを知るのは、悪いことではない。でも、お前がやっている“仕事”なんて、子どもの遊びなんだ。本当の仕事は、そんなに簡単なもじゃない。それにお前は、ママにお金を借りたそうじゃないか。結局、苦労をすることを放棄して、簡単にお金をてにする方法を選んだんだ。違うか?」
 そこまで言って、男はやや冷静さを取り戻した。言い過ぎたかもしれない。ついつい、仕事で部下を怒鳴るような感覚になってしまっていた。妻の顔を見ると、妻も「もういいわ」とでも言わんばかりに目くばせしてきた。
 「パパが言うこと、分かるだろ?」
 息子は、涙を流しながら、何度もうなずいた。その姿を見て、大人げなかったかもしれない、と反省した。
 「ゴメン。ちょっと言い過ぎたな。パパな、毎日いっぱい働いて、今日も長い時間働いて、ちょっとイライラしてたんだ。1時間に3000円をもらうのだって、けっこう大変なことなんだぞ」
 息子はさらに何度もうなずいた。その表情には、やわらかさが戻ってきていた。
 「だけどさ、お前は何でお金が欲しかったんだ。貯めたお金で、何か買いたいモノでもあったのか?」
 息子はその声が耳に入っていないかのように、勢いよくリビングを飛び出していった。そして、戻ってきた息子の手には、小さな貯金箱が握られていた。息子から渡された、その貯金箱のふたを開けると、中からたくさん硬貨がでてきた。この硬貨の数だけ、息子は近所のお手伝いをしたのだろう。
 息子は、さっきまでの泣き顔からは想像もできないような笑顔を浮かべて、大きな声で言った。

 「パパ、ぼく、今日ママから1000円を借りて、やっと3000円を貯めたんだよ。これで、パパの1時間を買えるよね!?ねぇ、パパ、いっしょにあそぼ。そのお金をパパにあげるから1時間だけいっしょにあそぼうよ」

 男の手からじゃらじゃらと硬貨がこぼれ落ちた。笑顔いっぱいの息子とは対照的に今、涙を流して泣いているのは、男のほうだった。
(「5分後に意外な結末」より)

 仕事・仕事・付き合いに事欠いて、子ども、奥さん、家族をないがしろにしていませんか・・・

 何のための仕事なのか、家族や自分の時間をそこまで犠牲にしないといけないほどにその仕事、今しないといけないものでしょうか・・・

 お金、名誉、地位だけが本当の幸せでしょうか・・・

 この息子さんが、お父さんとの時間が欲しくて、大切にしたくて知りたかった、お父さんの時給。お父さんは、家族のことを考えて仕事はしているものの、一生懸命に仕事をすればするほど、家族との時間を過ごすことの大切さまでは、気がつかないものです。何を隠そう、この私もその一人です。

 そして、そのことに気がついたときには、もう子どもは大人になっているのです。

 子どもがお父さんにいてほしいと思う時に、このことに気がつけるかどうかが大切なこと

のような気がします。

 皆さん、ご家族の方と楽しく過ごす時間を、どうぞ大切に、大切にしてくださいね!

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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