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#21 根拠のある自信と根拠のない自信

 ある精神科医の方の話です。この話は子どもを教育していく上でとても重要で知っておくべきことだと思いましたので、掲載させていただきました。

 その精神科医の方は、「お子さんに『根拠のない自信』をつけてあげて下さい。」「『根拠のない自信』があるかどうかで、子どもの将来が大きく変わります」と言われていました。
 では、「根拠のない自信」とは?それを子どもにつけさせるにはどうしたらいいのか?と言うことになりますが、最初にわかりやすい「根拠のある自信」から説明したいと思います。
 「根拠のある自信」とは、「クラスで〇○が一番できる」とか「〇○が一番上手」という類いの自信のことです。他と比べることによって得ることができる自信です。できること、それはそれで素晴らしいことに違いはないと思いますが、近年目立つ子どもたちの問題は、そんな「根拠のある自信」ばかりを育てられてきた子どもが、自分よりもっと優れてよくできる相手に会うと、簡単に劣等感に陥ってしまいがちだということ。そしてさらに不幸なことには、自分より何かが劣っているようにみえる相手を見つけると、たちまちそれだけで見下し、優越感をもってしまうことだと言われています。このゆがんだ優越感情こそ、いま日本国内の学校で深刻化している いじめ問題の土台をなすものだとその方は指摘しています。
 この「根拠のある自信」しか持たせてもらえなかった子どもは、その根拠がなくなった瞬間、心が折れてしまうそうです。「自分はダメだ。」「ぼくの存在価値はない」と。


 しかし、よく考えてみると、「どこへ行っても一番でいられる」ということはありえません。オリンピックで金メダルを取れる人はその種目では、世界でたった一人だけです。つまり、根拠のある自信というのは、その根拠を失う時が必ずやってくるものです。だから根拠のある自信だけでなく、根拠のない自信が子どもには大事であると考えます。


 それでは、「根拠のない自信」とはどのようなものでしょう。それは人が人として生きていくための根っこ、言葉をかえると、「基本的信頼感」のことだと言っています。言い換えるならば、理由や根拠はないけれど、自分はこれで大丈夫だと思える自信のことだと思います。「根拠のない自信」がある人は、どんな状況でも、「何とかなるだろう」と思えるそうです。

 「根拠のない自信」があれば、何か壁にぶつかった時、自分で解決して生きていけるのです。上には上がいるとわかっていても、「なんとかなるだろう」と思えるのです。なんとかなると思った子は、なんとかします。これを「根拠のない自信」というのだそうです。
 では、次にどうしたら子どもに「根拠のない自信」を持たせることができるのかということですが、その方は「できた時に褒めること以上にできなかった時に、抱きしめてあげることが大事」と言われています。
 勉強でもスポーツでもいい成績を取った時に「よく頑張ったね!すごいね!」ともちろん褒めてもいいのですが、テストでいい点をとったとか、スポーツ大会で一番になったとか、そういう「いい結果が出た時だけしか褒めない」というのはダメだと言っています。
 いい結果だから褒める、というのはまさに「結果という『根拠』があるから褒めているわけなので、それでは子どもは「根拠のある自信」しか持てないと言うのです。
 そして、結果がいい時しか褒めない、いい子にしている時しか褒めないと言うことを続けていくと、親や教師にその意図はなくても「勉強のできるあなたなら好きですよ」「いい子のあなたなら好きですよ」というメッセージとして、子どもの心にすり込まれていってしまうそうです。いわゆる「条件付の愛情」として子どもに伝わっていってしまうと言うのです。
 「そのようにならないためには、子どもを丸ごと受け止めて、『あなたの存在そのものに価値があるんだよ』というメッセージを機会あるごとに子どもに伝えていくと、子どもには『根拠のない自信』がちゃんと付いてくるのです。子どもには、そういう無条件の愛情が必要なのです。そして、「根拠のない自信」があれば、将来何かあった時、うまくいかない時に、なんとか自分でやり抜いていったり、周りの人に助けてもらいながら切り抜けて、折れずに自分で進んでいけるものなのです。だから、結果が出なかった時にこそ、子どもを抱きしめてあげることが大事なのです。子どもが小さい頃は、ギューッと抱きしめてあげたらいいのです。大きくなったら、実際にギューッてできなくても、心で抱きしめてあげて下さい。その積み重ねが 人を信じる力になり、自分自身を信じる力になる。だから大きな愛情で包んであげて下さい。それこそが『愛情の土台』になるのです。」と言われています。
 自分が無条件に愛されているという実感を子どもが持つことができた時、はじめて子どもの心に『根拠のない自信』が形成されるのだと思います。そしてこの『根拠のない自信』を持つことが、自己肯定感を高めることにつながると思います。

 その方の講演で次のような質問をされた方がいたそうです。
 「先生のおっしゃる『根拠のない自信』が今ひとつよくわかりません。もちろん親の愛によって育まれる『根拠のない自信』は大事だと思うのですが、何の努力もしないまま、『まあなんとかなるでしょ』と、ある意味、自信があるように振る舞っているような子が増えてきているようにも思うのですが。」           
 この質問に対して、その精神科医の先生はこう述べています。「私が話している『根拠のない自信』というのは、『親から愛されている』『親から大切にされている』と思える心が一番のベース、根っこになっているものです。『愛されている、大切にされている』という確信が、『私は私で大丈夫』『私には存在価値がある』と思える心につながって、それが新しいことに挑戦する時の勇気や、失敗しても立ち上がる根性、そして人生を前向きに生きることにつながっていくのです。」
 つまり「親からの愛」が見えないところで子どもの「根拠のない自信」を育てていることになるのではないかと思います。言い換えるならば、「根拠のない自信」とは「言葉にならない根拠」があるということだと私は思います。
 それは、「親の愛」かもしれません。親の「あなたは大丈夫!」という「言葉」かもしれません。「自分は必要とされているのだ」という「誇り」かもしれません。「目の前のことに本気で頑張ってやってこれたんだから、大丈夫!」と思える「経験」かもしれません。これらに共通するのは、この何かを伴った「根拠のない自信」を持った子どもは、必ず前に進んで行動できると言うことだと私は思います。
 さらに、「親からの愛情を十分受けられないまま何の努力をすることもなく『何とかなるでしょ』と考える『根拠のない自信』は本当に『根拠』がないのです。だから行動できないのです。『挑戦』できないのです。その『行動できない自分』を守るために、あたかも自信を持っているかのように、投げやりに『まあ、何とかなるでしょ』と言うのです。この手の『根拠のない自信』は何も行動しない(できない)自分を守るための『中身のない自信』です。自信があるかのように振る舞って、何もしないことがカッコイイと思っているのです。また「何とかなるでしょ」と言ってしまえば、行動しなくても許されるだろう勘違いしているのです。本当は自信がなくてできないだけなのに。」と看破されています。
 そう考えると、「本物の根拠のない自信」と「見せかけの根拠のない自信」の違いは、そこに行動が伴っているかどうかではないでしょうか。子どもたちが「本物の根拠のない自信」をもって目の前の課題に挑戦して生きていけたら、本当に幸せだと思います。その中でそう簡単に思うようにいかない現実に出くわしてみてはじめてわかることがたくさんあると思います。そのそう簡単に思うようにいかない世界をたくさん経験することで、たとえうまくいかなくても、失敗しても「なんとかなる!」「他に方法があるはずだ」と思える「根拠のない自信」が心に形成されてくるのだと思います。
 だから、目の前のことに精一杯取り組むことが大事だと思います。それは与えられたものでなく、自分で行動してみて摘み取っていかなければ意味がないのです。その経験が人生を作っていくのだと思います。講演の内容から私はそう感じました。


 この他に、さらに気になることを話していたので紹介します。「家の中でわがままが言える子は『安心』です。逆に家でいい子でわがままも言わず、勉強のできる子ほど、将来心を病む子が多いのです。親の言うことをまじめに聞く子の方がある意味心配だと思います。本来子どもはわがままを言いながら成長するものです。しかし、本当はわがままを言いたいのに、わがままを言えない子は、親が自分を愛してくれているかどうか不安で仕方がない子なのです。いい子でいる時、いい成績の時だけ親が褒めてくれて、悪い成績の時は何もフォローしてもらえないと、子どもはいつも親の顔色をうかがうようになります。その子にとっては勉強ができないと・・・、いい子じゃないと自分の存在価値を見出せないわけですから。子どもにとってこれほど不安なことはありません。だから、自分の存在価値を認めてもらうために仕方なく親の言うことを聞いたり、一生懸命勉強したり、お手伝いをするのです。子どもは本当にけなげです。そうすると、親はその表面に現れたいい子の姿だけを見て安心します。ところがどこにもわがままを言えないことになると、わがままが言えないストレスが子どもの心の中に溜まっていきます。ずっとずっと、心の中にストレスを溜め込んで我慢している子は、いつか溜めきれなくなる日が必ずやってくるものです。溜め込んでいる時間が長ければ長いほど、溜め込んでいるものが多ければ多いほど、予想もしないような恐ろしい形で出てきてしまうのです。ある日突然、家の中に引きこもって何もできなくなってしまったり、いきなりキレて周りの人に危害を加えたりしてしまうのです。」と。
 「うちの子はわがままばかり言って困っている」と嘆いている保護者の方もいると思いますが、家の中で普通にわがままが言える子は、ある意味安心なのではないでしょうか。ただし、わがままを言わせることは、子どもを甘やかすことではありません。大事なことは家の中に子どもがわがままを言える雰囲気があるかどうかということだと思います。子どもがわがままを言える雰囲気、言い換えればそれだけの安心感を子どもに与える場があるかどうかだと思います。
 だから、親は「家でわがままが言える子は安心だ」ということをまず知っていることが大事だと思います。そうすれば「この子ったらいつもわがままばかり言って!」とイライラしていたのに、「うちの子がわがままを言うのは安心している証拠なんだ。」と思えることで、親の方にも余裕ができます。それが大事だと思います。心にほんの少しでもいいから余裕があると、ちょっと子どもに優しくできたり、かける言葉や表情が変わってくるものではないでしょうか。子どもは敏感ですから、そういう親の変化にすぐ気がつくはずです。
 もし、私がこの「根拠のない自信を持たせることの大切さ」にもっと早く気づいていたら、また「家でわがままの言える子は安心だ」と知っていたら、きっともう少しまともな父親になれたのでは、と恥ずかしながら思った次第です。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。



         

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