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餃子屋と美空ひばりから「AIブッダ」の爆誕まで

先日、所用があって何十年ぶりかで宇都宮を訪れた際、せっかくの機会なので、友人オススメの餃子屋を訪ねてみることにした。
夕方、小腹も減ってきた頃に店にたどり着くと、すでに行列ができていて、いかにも繁盛店といった店構え。しばらく待って中に通されると、10席ほどのカウンターと、うしろにわずかにテーブル席があるだけの、小ぢんまりとした店内である。切り盛りしている店員の大きな声が響く。

「お客さん!荷物は足元に置かないで!上着と一緒に向こうの棚に置いて!」
「椅子もっと前に詰めてください!うしろが狭いんでね!」

アレ?もしかして指図が多い、、?私のニガテなタイプの店かもしれない。長居は無用、ビールと餃子を試してみて、早々に切り上げることにしよう。

店「注文どうします!?」
私「じゃあビールと――」
店「え?」
私「ビールと、、」
店「餃子から注文してください!」
私「(えぇっ!?)、、餃子と、ビールで、、」
店「はい!お隣さんは?!」
客「ビールと――」
店「餃子からお願いします!」
客「(えぇっ!?)、、餃子と、ビールで、、」

客にくみせず強気だ。「ビールと餃子」はオーダーできず、「餃子とビール」はオーダーできる店。
こういうのはニガテなのだ。店の都合が最優先。筆者は「私のやり方に合わせて下さい」タイプを目の当たりにすると、怒りを覚えやすい傾向がある。
「私のやり方に合わせて下さい」→「私が正解を持っています」→「私が正義です」という態度にはどこか他罰的なニュアンスを感じるし、正しさなど立場によって変わる曖昧なものだからだ。他罰者には断固NO!を言いたいので、この店の態度と筆者の怒りのクセは、ことに相性が悪かった。

待つこと数分、店員は
「ちょっとココ、あいだをすみません!」
と大声で言うと、運んできたお盆を使って、私と隣客の背中をグイと押し分けて、われわれの間にドンと餃子とビールを置いた。
(お盆で背中を押す!?)呆気にとられていると

「ウチの餃子は一味唐辛子とマヨネーズで食べてください!」



、、、知るか!


好きにさせろや!!


そしてもう二度と来るか!!!



どだい余計なお世話なのだ。いちいち押し付けがましい。出過ぎたお節介もたいがいにしていただきたい。のべつこんな調子で、餃子をちっとも美味しく感じられない。平たく口汚い言葉で言ってしまえば、ウザいのだ。そう、ウザすぎる。

ウザいと、人は離れていく。これ教訓。むかし友人に「寺に人が来ないのは、正しさを掲げるからだよ」と教わった時と同じ。聞こえよく言えば、あらためて勉強になったわけだ。

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、、、さて、昨年末から「気持ち悪い」と巷を賑わせている「AI美空ひばり」についてである。

https://www.youtube.com/watch?v=nOLuI7nPQWU

無論、テクノロジーによる故人の再現は今に始まったことではない。
2012年にはアメリカでラッパー2PACが、2014年にはマイケル・ジャクソンが、2015年には横浜でX JAPANのギタリストhideがステージ上に復活した。今回のAI美空ひばりを製作したヤマハは、昨年グレン・グールドのピアノ演奏を学習し、コンサートを披露するという プロジェクトも実施している。

これらミュージシャンに対して筆者の実感をもとに言えば、

グレン・グールド→え!観てみたい
2PACとマイケル・ジャクソン→幻想と判りながらも興味アリ
hide→やめてくれ

といったところ。想い入れの強さと許容範囲は反比例するようである。
(※筆者はかつてhideのファンクラブに入っていた)
つまり、縁遠い人ほど平気で、近い大切な人ほどムリ。

人格の再現という「気持ち悪さ」や「故人ビジネス」の倫理観ばかりが取沙汰されているが、それはもとより、何というか、イラッとしませんか?

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自らの大切にしている領域に、さまざまな権利や契約といった戦略的なものさしが、土足で踏み込んで来る感じ。

死者の再現?天国からのメッセージ?を、知りもしない全くの他人が、ビジネスで製作し、大切な亡き者の仮面を被って近づいてくること。

こちらは何年も何年も心の中で故人との対話を続けてきている。あの人だったらどうするか?なんて言葉をかけてくれるか?仏教者だってそうだ。ブッダは2500年前にこの世を去ってはいるが、「こんな時、ブッダだったらどうする?」と自らに問い、それを指針にする時がある。

それを、他人がビジネスでもって「それはアナタの妄想です。コンピューターがはじき出したAIは、こう言っています」なぁんてやってきた日には、怒り心頭ってなモンである。

餃子屋か!!いいか覚えとけ!!!
「私が正解を持っています」の態度はウザいんだよ!!!!!

どだい余計なお世話なのだ。出過ぎたお節介もたいがいにしていただきたい。こちとら常に亡き人の面影とともに生きているのだ。

うーーんでも確かに、現存する仏教経典をすべて統合して「AIブッダ」が爆誕したら、、、それはどうかなぁお目にかかりたい気もするけれど。。。

あ、ムリか。
ブッダはその時の相手の状況に応じて話を変える「待機説法」だから。



Text by 中島光信(僧侶・ファシリテーター)

参考に、近々のAI関連エンタメなど。

1)
森美術館では3月29日(日)まで「未来と芸術展:AI、ロボット、都市、生命――人は明日どう生きるのか~豊かさとは何か、人間とは何か、生命とは何か」が開催中。

2)
AI手塚治虫による新作漫画「ぱいどん」が2月27日(木)発売の「モーニング」に掲載
https://tezukaosamu.net/jp/mushi/entry/24491.html

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