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アマビエの商標登録をめぐって

またも電通案件
7月6日のニュースに「耳栓にもアマビエ? まさかの商標出願に批判続出」という記事が。

疫病を鎮める妖怪とされ、新型コロナウイルス感染拡大に伴って注目される「アマビエ」について、広告大手の電通など企業や宗教法人が10件以上の商標登録を出願した。これについて、ネット上では「アマビエは誰のものでもない」などと批判が上がっている。電通は6日、事業を「再検討することになった」として出願を取り下げた。

というもの。

Twitter上では「#電通のアマビエ商標登録に抗議します」のハッシュタグが広がるなど炎上騒ぎになり、それが影響したのかは不明だが、電通は「商標の独占的かつ排他的な使用は全く想定しておりませんでした」などとして出願を取り下げたとのこと。
(表向きの回答はそれだが、実際に指定された項目の多さを見ると、独占と思われても仕方がない量である)


宗教法人も申請していた
そして、電通はもとより、目を疑ったのは、「宗教法人が商標登録を出願」の箇所。

本件では、7/7現在、12件が出願されている。内容は「独立行政法人 工業所有権情報・研修館」の特許情報プラットホームで確認することができるが、そのなかに宗教法人 八坂神社(東京都港区)による「アマビエお守り」の申請が。

民族的・歴史的な存在だったアマビエという庶民信仰が、ビジネスに担ぎ出されたかたちだが、それを宗教法人が率先するようでは(事情はどうあれ)閉口せざるを得ない。

仮に、今後「護摩」という表記が商標登録されたら、全国の寺はその表現をするだけで利権者に課金?特許を取られたら、祈願寺院は護摩を焚くだけで課金か?そんな未来はいやだ。


「権利」の息苦しさ
特許庁も、許可には慎重になって欲しい。権利という概念は時代に応じても変化するので、本当に悩ましい。とはいえ、すでに社会に広く浸透しているものに対して、それを個人の財産とみなすような矮小化した申請を通していい筈がない。あまねく受理していたらそれこそ歯止めも利かない。
天気になって欲しい時に「てるてる坊主」を作る。感染症防止に「アマビエ守り」を身につける。なにかにすがりたい時がある、それは人の自然な姿ではないか?

もう、かつて仏教者が説いた「天地いっぱいぶっつづきの自己だ」なんて解放感からはどんどん遠ざかっていくようだ。窮屈で息苦しいったらない。


Text by 中島 光信(僧侶・ファシリテーター)



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