見出し画像

不適切保育はなぜ起きる?~負の連鎖を断ち切るためにできること~

            社会保険労務士法人ワーク・イノベーション
                          代表 菊地加奈子

報道は氷山の一角

ニュースの報道があった時の私の最初の印象としては、正直「毎日のように受けている相談が事件として扱われた」という衝撃だった。同時に、あまりの相談の多さとそこで皆が訴えている「無力感」によってどこか感覚が麻痺してしまい、踏み込んだ行動が起こせていなかった自分自身に対する自己嫌悪と消化しきれない思いに言葉を失った。

改めて、これまで寄せられてきた相談と、逮捕報道の前である2022年夏、課題感を持って取り組んだ全国の保育士に向けて行った独自のアンケートと個別ヒアリングの結果をもとに、今回の事件とこれからの保育のあり方について考える。

【いま、保育現場で何が起きているのか】
 1.「立場の壁」によって看過されてきた不適切保育
 2.「不適切保育」の認識の甘さ。保育のアップデートはできているか?
 3.人員配置と賃金の構造上の問題

【子どもたちを守るためにできること】
 4.児童福祉法改正から考える~わいせつ行為に限定しない処分を~
 5.防犯カメラの必要性
 6.懲戒という就業規則上のルールについて考える
 7.職場環境に関する評価・開示のしくみを

【まとめ】
こども基本法の目的を全ての大人たちへ



いま、保育現場で何が起きているのか

1.「立場の壁」によって看過されてきた不適切保育

裾野市の事件では公益通報をおこなった職員と逮捕された職員の関係性は明らかにされていないが、先輩の保育の問題点を指摘できない職員の悩みをこれまでにも多く受けてきた。

・気に入った子どもをひいきするような言動とかかわりをする、気に入らない保護者の子どもに否定的なかかわりをする、子どもをからかうようなかかわりをする保育士がいたが、勤続年数が長いベテランだったため主任等周囲の保育士は指摘できずにいた。

・保育士は何をするのも園長に伺いを立て、園長の指示通りにこどもを動かす。職員が指示通りに保育をしないと園長がこどもを怒鳴りつけたり、しかりつける

・0、1歳児の給食で温野菜など園児が食べづらいメニューが出た時に、保育士が手で口を塞いで口から野菜を出さないようにしていた。園児は号泣していた。真っ暗な部屋に閉じ込めたり背中を平手打ちする職員がいた。自分が新人だったため、指摘することができなかった。

今回の事件でも公益通報の制度自体の機能不全が明るみになったが、多くの現場ではこうした問題を誰に相談してよいか分からないという悩みを抱えている。まして園長・主任が主導となって行っているケースは非常に難しい。ヒアリングの中で、管轄自治体に通報したという保育者がいた。通報を受けて特別監査に入ってもらえたものの、ヒアリングをしても事実が明るみにならずに不適切保育の事実はなかったものとされてしまったとのこと。行為者がトップ層であれば誰も事実を伝えない、当然の結果だった。結局、善意ある保育者がその現場にいることに苦しさを感じて離職して終わり、という負の連鎖が起こる。

2.「不適切保育」の認識の甘さ。保育のアップデートはできているか?

むしろ「虐待」という言葉の方が分かりやすいが、子どもの人権を守る上で虐待よりも広義の「不適切保育」という言葉が使われるようになった。虐待については4つの定義(身体的・精神的・性的・ネグレクト)が明確にあるが、不適切保育は「保育所での保育士等による子ど もへの関わりについて、保育所保育指針に示す子どもの人権・人格の尊重の観点に 照らし、改善を要すると判断される行為とする(不適切な保育の未然防止及び 発生時の対応についての 手引きより」と、現場の保育者にとってはなかなか実態が捉えにくいように感じる。

・自分が楽しければ、回りはお構い無しで傍若無人に振る舞い、子どもが喜ぶからと頭にボールをぶつけて遊んだりしている
・自分のクラスだけをよく見せようとする保育者が、子どもに対して厳しく押さえつけるような保育をおこなっている
・挨拶しない子に、「今日は◯◯ちゃんはお休みなのね。給食いらないっていわなくちゃ」と言う
・「逆上がりできるまで遊んではいけません」という保育者がいた

その場で先輩が気づき、指導することはできるかもしれない。しかし、これらの発言の多くは若手から挙がったものだ。1.とも関連するが、保育がアップデートされていない年配保育者(もちろんベテランのすべてがそうではない)によって無意識に行われているケースが多く、本人たちに自覚はほぼないといえる。そして気になっている保育者の方はどうかというと、「言葉がけや行為が気になるけれども、口調が荒いだけ?”不適切保育”と大ごとにするほどのことなのだろうか?」と、自分の胸にしまってしまうのだ。

3.人員配置と賃金の構造上の問題

報道の中でも人員配置の厳しさや低賃金の問題について指摘する声が多い。「子ども主体の保育」という言葉が保育所等の中で浸透してきているものの、実際の配置人数でそれが可能だろうか。
保育の現場では日々、保育室で遊んでいるだけではなく生活を営んでいる。たとえば、散歩から帰ってきて着替えやおむつ替えをして給食を食べるという流れがある。12人の1歳児を法定配置人数2名で見ていた場合(6:1)、おむつ替えと着替えを1人の保育士が行い、もう1人の保育士が残りの子どもを見るという構図が生じる。トイレ・手洗い場は広さもなく衛生面でも留意が必要なため、順番に迎え入れると1人の保育者で6:1ではなく、おむつ替えと着替えをする保育者が2人の子ともを見て(2:1)、保育室で子どもを見る保育者が10人まとめてみる(10:1)、というようなシーンも起こり得る。それで子ども主体の保育ができるだろうか。むしろ事故を起こすことなくただ安全に過ごすということだけでも難しいくらいだ。

以前、訪問先の園で、2歳児クラスの担任をしていた新任保育士と面談をしたときのこと。「一緒に組んでいる先輩がつねに子どもを怒鳴ってクラスをまとめていて、毎日大声を聞くのが辛かった。でも、数ヶ月経って、同じように子どもを怒鳴って保育をしている自分に気づいた。そうしないと保育が成り立たなかった。でもふと思う。小学生の時からずっと目指していた保育士という職業、私は本当にこの仕事に就くことが正解だったのか?と」
この言葉が未だに頭から離れない。

子ども主体の保育を実践しようと動いている一方で法定配置人数が依然として変わらない問題。現場のことを考えて、法定配置の1.5倍~2倍の配置をしている園も多い。しかし、保育所等の運営にかかる公定価格の構造は子どもの人数で決まるしくみであるため、決まった人件費を多くの職員で分け合うこととなる。結果、保育士配置を手厚くすれば当然に賃金は低くなるのだ。世の中で保育士の賃金が低いと言われる理由は、公定価格上で保育士の賃金がもともと低く設定されているわけではなく、独自に加配をしていたための結果ともいえる。


子どもたちを守るためにできること

4.児童福祉法改正から考える~わいせつ行為に限定しない処分を~

ベビーシッターによる子どもへのわいせつ事件等を受けて子どもに対する性犯罪の重大性が問題視され、2022年6月に児童福祉法が改正された。日本版DBSといってヨーロッパで広まりつつあるが、子どもに不適切な性的関わりを行った保育士は都道府県知事が登録を取り消し、再登録について要件をさだめるしくみが設けられた。これに関しては非常に有益な改正といえるが、性犯罪のみに限定せず、深刻な不適切保育・虐待の事案についても適用すべきではないだろうか。今回明らかになったように、不適切保育の中には刑事事件として扱われるケースも数多く含まれている。

5.防犯カメラの必要性

前述した、不適切保育を発見した保育士が自治体に通報したケースでもあったように、検証が現場のヒアリングのみに頼らざるを得ない状況は発見の遅れにつながる。もっと客観的な把握が必要だ。現場の保育者の方々と防犯カメラの必要性について議論すると「自分たちの保育を監視されているようで怖い」という声を多く聞く。確かに気持ちはよく分かるが、監視を恐れるような保育をしなければよいだけだ。そして監視という目的だけでなく、職員室でモニタから各保育室の様子が見えるようになることで「今、このクラスに一人ヘルプに行った方がいい」という瞬時の判断ができたり、不慮の事故が起こった際の検証にも役立つ。客観的な記録ができることは子どもたち・保育者双方を守ることにつながるはずだ。

6.懲戒という就業規則上のルールについて考える

多くの園の就業規則を作成している中で、懲戒規定について論じる際、経営者から「懲戒なんて、ものものしいからあまり細かく定めなくていいです」と言われることが多い。聖職たる保育者は確かに”良い人”がほとんどだ。だからこそ今回のようなニュースは胸が痛む。しかし、公益通報制度が機能せず、懲戒のルールがあることも周知されておらず、個々の職業倫理に頼った運営では大切な命と未来ある子どもの育ちを守れないこともある。就業規則上の懲戒規定は、懲罰を与えて人を動かすことを目的としているのではなく、「絶対にやってはいけないこと」を園(法人)として表明するためにある。不適切保育の定義が曖昧であるだけに、いかに深刻な問題であるかを園内で共通理解を図りたい。

7.職場環境に関する評価・開示のしくみを

認可・認可外に限らず、自治体による指導監査や立ち入り調査が行われており、第三者評価を受けている施設も多いのになぜ問題が明るみにならないのかというと、評価基準が曖昧で評価する自治体職員に専門性がないことが挙げられる。保育関係書類の整備状況については現場を経験したベテランの元保育士などが確認できるが、職員(人)に関わる部分の確認には専門性を要する。監査では賃金台帳や出勤簿、就業規則、労働条件通知書といった一連の労務関連書類を提出することになっているが、そのどこに問題があるのかを指摘できる専門性を持った監査員が少ない。サービス労働や持ち帰り仕事、休憩や有休が取れないという問題がこれだけ周知の事実となっているにもかかわらず、監査で誰も指摘できていないということ自体おかしい。勤務時刻が一切記載されておらず、出勤簿に判子を押すだけのものでどうやって残業時間と残業代、すべての時間帯ごとの法定配置人数を把握できるのだろうか。労務管理の確認は職場環境に関する評価に他ならず、単なる書類のチェックではない。こうした評価を整備し、公表することで改めて職員と経営者との間で「より良い保育につながる職場環境」について対話ができる関係性を築くことができ、さらには保護者が園を選ぶときに「先生たちが働きやすく働きがいある園は保育の質も高い」という認識を持つことにもつながり、本当の意味での「誰にとっても風通しの良い環境」が生まれるのだ。


まとめ

児童福祉法改正と同時に成立したこども基本法。この理念の中に「すべての子どもの基本的人権を守り、差別的な扱いをしないこと、適切な保護と養育を行うこと」と明記されている。まさにこれがすべてだ。
もう一つ、社会保険労務士の立場から申し加えると職員の人権を守るべき労働基準法というものの存在もしっかり捉えるべきだと思う。子どもの人権を守るために職員の人権を犠牲にしては結局のところすべて子どもに返ってくる。
そして、子どもを最も近くで育てている親たちも保育所に育児を丸投げしないこと。そのためには親を雇用する企業側もその責務を担っているという自覚を持つ、そんなつながりも大切だ。
こどもをまん中に、社会全体が一つになり、社会全体で子どもを育てていくという意識が高まってほしいと心から願う。


【著者】
菊地加奈子
社会保険労務士法人ワーク・イノベーション代表。特定社会保険労務士。
自らも保育園を経営し、全国の保育所・幼稚園・認定こども園の労務管理を担っている。保育所等の働き方改革について全国で講演。「保育の友」「遊育」にて連載執筆。著書は「保育園の労務管理と処遇改善等加算・キャリアパスの実務(日本法令」ほか。プライベートでは1男5女の母でもあり、保育園の保護者の立場も持つ。

保育イノベーション

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?