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SNSでよく見るキラキラ生活者について思うこと

幸せとはなんだろう。
人それぞれ幸せの定義は異なるだろうが、世界各国の幸福度なるものを調査する番付というものが存在する。
その世界幸福度ランキングで一位、国民の9割以上が自分の生活に幸福を感じている国、ブータン。
テレビの映像で見るブータンは、多少の編集はあれど皆、一様に幸せそうだった。
しかしその光景は今や過去の話となってしまっていた。
世界はどんどんIT化が進んでいる。
キャッシュレス、ペーパーレス、タイパ。
時間や人的労力を介す機会が減ってゆき、情報収集の手段も寝そべりながら指先で入手できる時代である。
無論、ブータンでもITの波はやってきた。
そしてIT化が進む中で他国の生活状況や文化にふれる機会を得た。
他者の生活を垣間見た国民は、自身の置かれている状況とネットの中の誰かの状況とを比較して自分は幸福ではないと感じたのかもしれない。
そのためか、ブータン国民の幸福度はどんどん低下し、今や国民の6割程度が幸福を感じている国になった。
今まで知らなかったこと(他者の生活)を知ってしまったら、知らなかった頃には戻れない。
隣の花は赤く、芝は青い。
必ずしも他者の生活が幸福だとは限らないが、新たな情報を得たことによって幸福度が下がるのは気の毒な話である。
未だに自分は幸福だと思っている国民の層は、(a)新しい情報を得る手段を持たない民、(b)他人の状況を知ることと自分の幸福度とは無関係だと考える民の集団が構成しているのかもしれない。
(a)はその中に、幸福度が低下する集団と(b)の予備軍が隠れている可能性がある。
(b)の集団は、きっとどこの国にいても他人の幸福に頓着しないのだろう。
あるいは、新たな情報を得ることに喜びを見出しているのかもしれない。
自らを不幸に至らしめない賢人の集団かもしれない。
今やどこにいても、何時でも、簡単に他人の発信する情報にアクセスできる世の中である。
私にとって、SNSで展開されるきらびやかな日常も見る分には面白いが、あくまでエンタメの域を出ていない。
一時的な憧れや、自分が精進するための目標アイコンとしてなら機能するかもしれない。
他人の生活は他人のものだし、私の生活は私のものだから他人のものを窃取しようとも、できるとも思わない。
他人の意思で切り取られた情報を知ることと、その華やかさを羨む気持ちとを結びつけて自らの幸福度は低下させたくはない。



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