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片付けと清掃は異なる

部屋を片付ける、と言ったとき。
そこにはものを整頓する、という意味がふくまれている。
部屋を掃除する、と言ったとき。
空間を清潔にする、という意味が含まれている。
片付けと清掃はイコールで結ばない。
ニアリーイコールで結ぶべきだろう。
そして私は片付けが下手である。
よく言う「物の住所」を決めておけば散らからない、だとか元の場所に戻せば部屋はいつでもキレイ、だとかは私には当てはまらない。
「物の住所」はよくよく書き換えられて、あらゆる物が常にお引越し。
万物は葛飾北斎のごとし。
元の場所、がどこだったか思い出す暇もなく新しい場所を定位置にしてしまう。
エントルピー増大の法則を持ってきては、散らばりやすい方向に力が移動する、とかなんとか言って散らかし放題の部屋の言い訳をしてきた。
そろそろ他の言い訳を考えて言い訳のレパートリーを増やすか、片付けが上手くなるように努めるかをしなければならない。
万人が後者の方法を取れ、と謂うだろうが、逃げ道を作っておく(それも複数)ことは大切である。
かつての芯から真面目だった私は片付けの本を読み漁り、テレビの収納特集にかじりつくようにして視聴し、あれやこれやと工夫をこらして片付けに励んでいた。
結果は惨憺たるものであったが。
自分の持ち物の種類はあまり多くない。
というより、物の絶対数は少ない方である。
実用性のないものはほとんど持っておらず、私の持ち物のほとんどは書籍である。
その書籍ですら、目的を達成すると同時に無用の長物となる資格試験の参考書だったり、教科書だったりするのだから、長期間手元に置いておく物は本当にごくわずかだと言える。
なのになぜ整理整頓ができないのか、自分のことなのに甚だ理解に苦しむ。
ものが散らかる原因の一つははっきりとしている。
しかし、やめられない。
だからいつまで経っても片付かないのかもしれないが。
その原因というのは、ひとつの習性である。
つまり、私はお菓子の空き箱や小さめの段ボールなどを「未済箱」として準備してしまう。
「とりあえず、ここに入れておけばいい」というフリースペースを設けてしまうのだ。
そこに色々なメモ書きを入れたり、新聞のスクラップを入れたりと文字通り自由な空間として使っている。
未済箱がいっぱいに成ったところで、そろそろ片付けないといけない、と危機感を持つのである。
尻に火がつくまで物事を先延ばしにする癖はここにもあるのだなあ。

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