見出し画像

マリオンのクレープと白い薔薇

白い薔薇の花言葉(のひとつ)は「わたしはあなたに相応しい」らしい。

欲しいものをねだる、ということをしない子どもだったと思う。
実家は貧しくはない。むしろ裕福な方に分離されると思う。誕生日は年末近く(=誕生日プレゼントをクリスマスやお年玉と一緒くたにされやすい)だったけれど、ちゃんと誕生日プレゼントをもらっていたし、何かをほしいと言って否定された記憶はないのに、なぜかいつも諦めていた。
とはいえ、自分の望む方に誘導しようとする母親ではあったなとは思う。……と、ここまで書いていたら、ファーバーカステルの色鉛筆のセットがほしいと言った時にセットを買ってもちゃんと使うかわからないから三原色の三本だけ買ったら、と言われたこと、ワープロが欲しいと言ったら親が職場で使っていたタイプライターを渡されたことなどをふと思い出した(タイプライターを使う経験はある意味とても貴重だったけれど)。どちらも中学生の頃の記憶だ。

欲しいものを言っても手に入らない、手に入ってもそれはわたしが手にした途端素敵なものではなくなる、そんな感覚があった。お下がりの服をもらうことは幼い頃のほうが多く、欲しいという前から大量の物がある、という感覚があったということの影響も大きいかもしれない(参考)。
その一方で、そもそもわたしが何かを欲しがる権利などあるのか、という感覚もあった。

あなた(達)は恵まれている。

大学付属の小学校に通っていたので、それに類する言葉は幼少期から色んな場面で言われた。恵まれている分、将来は立派な人になって返しましょうというそれは、未来ある子どもへの期待と祝福の言葉だったのだろうけれど、わたしは恵まれていることが後ろめたかった。
自分同様、あるいはそれ以上に恵まれている人もたくさんいたのに。そもそもわたしが我慢することでわたしの受け取るべき権利が目減りするわけではないし、まして社会の不均衡が解消されるわけでもない。
それはそれとして、中学生くらいの頃から自分は結婚しないだろうと思っていたので、その意味でもお金は稼げるようになりたいし、貯めておかなければ、という感覚は結構強くあったと思う。

高校で入ったオーケストラ部は担当楽器の関係で、毎月三千円ほど出費があった(定期的な消耗品の購入が必須の楽器だった)。当時、お小遣いは月に三千円だった。中学生時代のお小遣いはどうだったか覚えていない。ともあれ部活動でお小遣いはほぼ無くなるため、それ以外はひたすらにお年玉(学年に応じて金額が少しずつ上がるシステムになっていた)を切り崩し、あとはひたすら我慢という選択しか思いつかなかった。お小遣いの値上げ交渉をする、欲しいものを要求する……そういった選択肢は当時のわたしの中にはなかったのだ。
小説、漫画、CD、漫画雑誌とその付録。部活の後みんなで行くファミレスでの飲食費、レスポールのバッグやポーチ。ブランドの化粧品、外出先で喉が渇いたからと自動販売機で買う飲み物、買い食いするお菓子……「みんな」が、当たり前のように持っているもの。
お金がないから「みんな」の輪に参加できないということはなかった。学校の林間合宿用の寮にはよく遊びに行っていた。一方で周囲には同人誌を描いてお小遣い稼ぎをしたりアルバイトをしているクラスメイトもいた。
自分はとても恵まれた環境にいる。
ただずっと我慢して、自分は持っていないという意識だけがあった。
そうして我慢していれば誰か気付いてくれる、という気持ちもあったように思う。

働き出すようになってからとてもたまにだけれど、憤るような気持ちで買い物をすることがあった。とても好きで憧れてとか、今のわたしがそれを欲しいかどうかというよりは、お金さえあればこのくらい(こんな薄汚れた、本来なら手に取る権利を持たない)自分にだって買えるんだという、復讐のような自傷のような買い物。それが自分に自信をくれた部分も皆無ではないのだけれど。
もう手放したワンピースや指輪(そして婚活のお金)はそういう買い方をしたものの一つで、でも今にして思えばそもそも全然「痛くない」額だった、と思う。うんうん悩み手に汗握るような買い物ではない。わたしはどこまでも安全圏、あるいは自分自身さえ見えないぼんやりとしたイメージの中で鬱憤を晴らしていたのだと思う。
先日マスク生活のせいもあって付けなくなったピアスのセットを買い取りに出したのだけど、購入時の値段を確認して拍子抜けした。
この程度の値段のものをわたしはずっともったいないからと処分できずにいたのかと思ったし、この程度の値段、と思った自分にも驚いた。

家の近くの公園に、マリオンのクレープの屋台がある。
今日は夏のように暑くて公園に行くにも疲れそうだったので、屋台近くにある日陰のベンチで休みながら、ふと、お昼代わりにクレープを食べようかと思いついた。より正確に言うとすでに軽食は食べていたのだけどお腹にはまだ余裕があって、そうしたら近くのベンチでクレープを食べている人がいたのだった。
屋台の近くに置かれた縦長のショーケースにはクレープのサンプルが展示されていて、ひとつひとつの値段が書かれている。一番人気のストロベリーチョコバナナは500円。びっくりした。
公園近く以外にもクレープ屋さんは何箇所かにあって、何度も何度もわたしはその前を通っていた。時に店頭に行列をしているのを見ながら、もしかしてわたしはずっと「我慢」していたのかと気付いた。
どうせ買っても大して美味しくないだろうから。大して中身も入ってないだろうから。家に帰ったらすぐご飯の時間になるから。……イソップ童話の「すっぱい葡萄」のように、そんなことを思っていた。
わたしが我慢していたのはたった500円のものだったのか。
出来上がったクレープを持ち帰りながら、力が抜けるような、泣きたくなるような気持ちだった。友人たちとホテルのアフタヌーンティーに行き、おしゃれなパフェを食べ、カフェでガレットを食べても、わたしはずっと我慢していたのだ。そういうものは多分、まだまだ他にもあるのだろう。
たった500円。でもその500円を、いやそれより安いものを買うのにも恐ろしいほどの罪悪感を覚えていた時期があった。恐らく、何にどれだけ支払えるのかというのは単に経済状況だけでなく、セルフイメージの話でもある。そしてわたしはそのセルフイメージがずっと学生時代のままだった、または今もその部分が残ってしまっているのだろう。
(とはいえ別のクレープ屋さんではもっとお値段がした気もするし、むしろ物価上昇のこのご時世にあのお値段ってマリオンは大丈夫なのかしら……とちょっと思いもしました)

そういえば小学生くらいの頃は、原宿でクレープを食べることがおしゃれな子の振る舞いとして漫画雑誌などで紹介されていたかもしれない、と思い出した。家でクレープを作ることも。

かの有名なNetflixの返信番組『クィア・アイ』シリーズではしばしば、貴方(わたし)はこれを持つに相応しい、という言葉が出てくる。
チア・アップの台詞なのだけど決して高額なアイテムに対して言われるものではなく、例えばセルフケアの時間とか、そういうものに対しても言われる。髪や肌をケアする時間、瞑想の時間、家族と語らい食事をとる時間。体のラインを見せる服やきれいな靴、新しい職位。

アメジストの指輪は復職のお守りとして買った。
マルジェラの5ACはこれがわたしの自己紹介バックのはずだと祈るような気持ちで買った。
マリオンのクレープはお腹が空いたから買った。

もう少ししたら新しい財布を買おうと思っている。
月並な結論だけどわたしはわたしが欲しいものを、わたしはこれに相応しいのだと当然のような顔で手に取りたいと思うのだ。

※当初は自分史の一部として書いていたものだったのですが、公開できそうだったので個別記事としてアップしました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?