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糖衣について(2023年振り返り)

11月末頃から、今年一年について振り返っていました。
わたしは自分がいつJJGになったか、特に宣言していないのではっきりとした日付が分からないのですが(あきやさんのnoteをひたすら読んでいた時期が結構長い)、とはいえ、これは1月の誕生日プレゼントだと言い聞かせてCabanの白いスカートを買ったのが自分のJJGとして最初のDoだと思うので、今年の1~2月から、ということになります。
ということは2023年12月現在、わたしはJJGになってそろそろ一年、ということになります。ちなみに教室に行ってからはもう少しで半年になります。


酷かった2023年

……まあ、大変な一年でした。

2022年10月に復職し、仕事にも無事慣れてきて良かったなと思っていた半年後の2023年3月、来年度から部署の人員が減ると言われ上司その他に抗議メールを送り。
同時期、所属していた音楽団体のモラハラ気質な主催から突然仕事を振られ、しかし主催がスカウトした新メンバーにソロが振られた一方でわたしは何も振られず落ち込み。その後、主催から仕事の駄目だしを繰り返され、他のメンバーに相談しても団体の長年のブラック経営に耐えてマッチョな気質の人が多いせいかろくに取り合ってもらえず。
団体のグループLineから締め出された直後の8月にコロナに感染、病気のお前を心配してメッセージも送ってやったのに何の返信もないと怒ってくる学生時代の友人に状況を説明しているうちに後遺症が発覚。
後遺症と合わせ濃厚接触者になったこともあり出演予定だった音楽公演は欠席。せめて11月公演は出たい、仕事もこれから忙しくなると焦ったことや、辞めた団体のメンバーとのやりとりのせいで精神状態と後遺症が急激に悪化。11月頭には10日ほど寝たきりになり、以前通っていた心療内科医にはそんなに通院が大変なら入院でもすればと言われ、後遺症のことを話せばそれなら後遺症専門の医者に全部まとめて診てもらえばいいと言われ……。

幸い?にも、職場の体制については上司からも謝罪を受け、人事上の改善が約束されました。
11月以降の体調については現在病気休暇中ではありますがこの一月でずいぶん回復し、先週末にはコートを16着試着して買ったりしているのですが(30%オフの力……)、そんなわけで11月はあまり遠出もできず、家でしばしばぼんやりこの1年を振り返っていました。
iPhoneのアルバムやこちらのnoteを見るとJJGとしての活動や友人たちと楽しいお出かけの記憶が次々に浮かび、そうだこの一年は決して嫌なことばかりではなかった、各方面に新しい友人もできたしあきやさんにも会えたんだと思いつつ、一時は買ったお洋服やバッグを持ってまた出かけられるのだろうかと考えていました。その後もまだ回復してきっていない体調も手伝って、ぐるぐる頭を占めるのは対人関係で起きた嫌なことばかりで。

「お前のために」とか。
思えばそれに類する言葉をずいぶん言われたな、と思います。

心配してDMを送ったのに。
真剣に治療方針を考えているのに、あなたはそんな態度を取るんですか?
そんなことあなたが言ったら、ショックを受けるメンバーがいるかもよ?
私はあなたをリスペクトしてるのに、どうしてあなたは酷いことを言うんですか。

「あんたのためということばは いつ いかなる時も美しくない」という、大島弓子さんの漫画の言葉を思い出しながら、ふと頭をよぎった言葉がもうひとつありました――「悪気はないんだから」。

悪気が無くても

いろんな人に腹を立て、時に爆発させながら。しかし思えばこの一年、わたしはその言葉をずっと頭の中で繰り返していたのでした。悪気はないんだから。向こうにも、理由があるかもしれないんだから。

わたしは小学校の頃、周囲の活発なクラスメイト達に怯えながら過ごしていたのですが(参考)、その後中学に上がってから、何かの折に当時のクラスメイトに「小学校時代は楽しかったよねー!」といった趣旨のことを言われ、それはそれは混乱したことがあります。

みんながわたしを嫌っているというのはわたしの勘違いだったんだろうか。
ぜんぶわたしの間違いで、わたしが悪かったんだろうか。

かくしてそれ以降、対人関係においてわたしは常に、自分の受け取り方が間違っているかもしれない、いやそのはずだと思いながら過ごしてきました。
もともと世の中の流行をあまり知らず、クラスメイト達と話していても「変なのー」などとしばしば言われるわたしはクラスメイトはじめ、人の中で生きていくには「擬態」が必要だとも、幼いころから思っていました。

間違っているのは常に自分である

大きな声や誰かが不機嫌にしている空気も苦手だったので、誰かに怒られたり行き違いがあったり、その他何かトラブルが発生したとき、謝罪すべきは常に自分であるという意識がどこかにありました。だって「わたしは間違ってる」んですから。
(書きながら、そういえばカウンセラーさんからは職場(の同僚)に対して不安感が強いと見立てられていたなと思い出しました)
しかし当然ながら、世の中にはわたしが悪かったケースしか存在しないわけではありません。
反射的に謝ってしまってから暫く経って、いやあれは相手の対応もどうなんだ……? とか、よく考えたら別にわたしのせいじゃないな、と思ったり。なのにどうしてそのことをその場で言えなかったんだろうと、思い出し怒りしたり落ち込んだりすることはしばしばありました。

働き始めると自分の謝罪が職場全体の謝罪=意思表示になりかねないこと、常に私が間違っていると考えながら生きていくのは自分も苦しいしどうにかやめた方がいいのでは……という意識が生まれてきたので、特にここ10年ほどは親との関係性含め、右往左往しつつも少しずつ変わってきたと思います。休職から復職に際してもそこは改めて自分の中で確認した、つもりです。
実際、職場の人員減に対して上司に震えながらもメールを送り、音楽団体の主催の失礼な言動に皆の前で反論できたのはその成果と言えるでしょう。職場の件についてはお世話になったカウンセラーさんに報告したところ、もともと貴方はそういう力を持っていたんですよ、と言ってもらいました。
だけど。

あれ、〇〇さんもこのパートなんだ、気付かなかった。
まあ、あの人は何言っても変わらないからねえ。
〇〇さんは遠慮がちだから、わたしのソロ代わりにやらせてあげる。
〇〇さんは音楽以外にもできることあるんだから、そんな拘らなくたっていいじゃない。
えーわたしなんてもっと酷い目にあったよ!

悪気はないから。彼女の方が大変だから。大変そうだね、話聞くよと声をかけてくれたから。きっと、ただ気が付かなかっただけなのだろうから。わたしもネガティブになっていただろうから。悪気はないんだから。
悪気はないんだから。

……………………だから、何なんだ。

悪気がない、なんて言うなら。あれはどう見てもモラハラだとメンバー皆から陰口を叩かれているあの主催だって、私の仕事を否定し𠮟責したことについて何の悪気もなかったことだろう。
わたしは嫌だった。とても嫌だった。傷ついた。
わたしの認識が多少偏っていようと間違っていようと、相手に何かしらの事情があろうとそれがわたしに何の関係があるんだ。大体、わたしが怒ってそれで向こうが不愉快になったり関係が切れるなら所詮それまでの関係ということじゃないか。
悪気がないからってなんでわたしばかりがお前やお前やお前の不愉快な言動を、いつも仕方がないと全部我慢して聞かなきゃいけないんだ、この、わたしが!

…………そうさせていたのも他ならぬこのわたし、なのですが。

職場の上司など、立場の上が人間は下の人間に対応する責任がある。つまり上司とは人ではなく「ポスト」なのだ。と、わたしは考えている節があります。だから上司や主催が間違っていると思ったとき、比較的すぐに言えたのだと思います。
(もしかしたら親もそうかもしれない)
けれどもそうではない相手の方がむしろ自分はずっと怒れないのではないか。だって、「仲間に入れてほしいから」。変なの、怖い、自意識過剰、そんなことを言われて距離を取られたくないから。
だけど上司・部下ではない人間関係の方が世の中には圧倒的に多い(そもそも上司も人間です)。大体、怒ることもできない人間関係なんて、全く対等ではない。

酷かったのは

対人関係のトラブルで疲弊していた時、だからこそ、価値観の同じ友人やフォロワーさんの有難さをしみじみと感じました。意外な人が自分を気にかけてくれているのだな……とびっくりすることもありました。
そもそもわたしの言動を嫌う人がいても構わないと思えたのは、自分には価値観の合う、付き合いの長い友人がいると思えたからです。周りに合わせなければ弾かれてしまうとずっと思っていたわたしにもそういう友人がいる、いてくれる。
だったらその人たちを大切にした方がいい。他の人は気にしなくていい。そのことを忘れないようにしようと思います。

また今まで、対人関係については常に 

自分<自分以外の人 

という発想だったので、何かトラブルが起きたら常に自分のせい、だけどトラブルは無くならないので自分はとても気が利かない無神経な人間だ……とずっと思ってたのですが(休職時すら、当時の上司や業務体制に苛立ちつつ、一方でもっと早く自分が手を打っていれば……と思っていましたし、幼稚な自己万能感が強かったということでしょう)、一旦自分も怒っていい=自分だけが悪いわけではない、つまり

自分=自分以外の人

と考えても良いのだと気付くと、世の中思ってる以上に無神経な人が多い、というか、むしろ自分は気を使うし神経質なタイプなんだな、と今更ながらに気付いたのでした。
当たり前ですが世の中自分と同じ感覚・価値観の人間ばかりではない、そのことを初めて実感できた気がします。
本当に今更、ようやく! なのですが。

そして思ったこと。
酷い目にあった、酷い年だったとずっと思っていたけれど、つまりはそう思うくらい、わたしの周りにはわたしを侮る人が沢山いる酷い状況だったことに、今までわたしは全く気づいていなかったのではないか(ただしコロナはのぞく)。
それにようやく気付ける自分になった、ということなのではないか。
以前のわたしだったらもっともっと、言葉を飲み込んで我慢していたのではないか。

何もできなくてもわたしの存在には絶対に、絶対に価値がある。
ほぼ寝たきりになっていた頃、繰り返し繰り返し自分に言い聞かせていた言葉は自問自答によって気付いた怒りを自覚させ、最終的に手放させてくれた……そんな気がします。

復職して、だけど変わらなければまた同じようなことになるのではないか……そう思っていた頃にわたしは自問自答ファッションに出会いました。
今までだったら気後れして手に取ることもできなかったような服や靴を試着して、時に思い切って購入し、バッグを買い。noteを書いて、お教室であきやさんとお話して。
ちゃんと進めてるのかな、と思っていました。
バッグを買ったけれどポエムが流れたわけではない。お教室で教えてもらったブランドはまだ試着していない所が沢山あるし、気後れして入れないことは多い。自分のやりたいことや妄想も足りてないと思うし、ヘアメイクに至ってはコロナのこともあり、色々忘れてしまっている気がします。まして部屋や机など、インテリア関係については何のイメージもない状態です。

でも怒りを持つことを、わたしはようやく自分に許せた気がします。
だから多分、自問自答はわたしが自覚ない間にもちゃんと進んで、わたしを変えてくれていたのです。

不思議なことにわたしの後遺症の症状は対人トラブルでの怒り、あるいは執着が治まるのと合わせて収まっていきました。なんだか教訓めいた話になってしまいますが、わたしは怒っていいのだと自分に許した途端、怒りは私から離れていき、相手にも事情なり考えがあったのかもと静かに思えるようになりました。
今までも相手の事情などは考えていたつもりでした。が、恐らくそれはわたしは怒ってはいけないと、怒りを抑えつけるための思考だったのでしょう。
そんなわけで症状も落ち着いて結構元気になってきたよ、と。先日4か月ぶりに、価値観の合う友人達とお茶をしました。

前にお茶した時にも持ってたけど、そのバッグ本当にきれいだね。
とても似合ってるよ。

お茶を飲みながら言われてうん、とうなずきました。

そんなわたしがふと思いついてY’Sのワンピースとスカートを再度試着し、そのシルエットの美しさとゴージャスなお値段にぎゃーとなったりするのですが、それはまた来年のお話ということで。
(お金貯めよう)
(今年買ったものもまとめておきたいですね)


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