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「第95回野村狂言座」より『貰聟』と『禰宜山伏』

2021年8月27日に観劇した「野村狂言座」、後半2作品のレポートです。

『貰聟(もらいむこ)』はホームドラマのようなコントのような作品。パンフレットに「世話物的な世界」と書かれている通りの、どこにでもある家庭のワンシーンが描かれています。登場人物は3人。舅は大ベテランで立っているだけであったかい包容力を感じさせてくれる石田幸雄さん。夫は高野和憲さん、妻は中村修一さんでした。

冒頭、舅と妻がしずしずと登場。ポジションについたところで、よっぱらいの夫が気分良さそうに歌いながら帰ってきます。家について「女ども」を呼ぶのですが、これは複数形ではなく、奥さん1人へ呼び出しです。「あのみっともない顔なんて見たくないが」などといって、一昔前なら世の奥さんを一気に敵に回しそうなところ。奥さんも慣れきっているのでしょう、「また酔っ払って帰ってきて。みっともないから早く入って」と、うんざりした様子で迎えます。

酔っ払いの演技がすごくリアル。相手の言うことをおうむ返しで繰り返す。何度も同じことを言う。からむ。ああ、こういう感じ知っているなあと思いました。酔っ払いって古今東西、変わらないのかな。それに対応する奥さんの態度も、いい意味でありきたり。こういう感じが共感を呼ぶのか。しかし狂言って昔はお殿様の前で演じられていたんですよね。高貴な身分の方もこの感じに共感したのでしょうか。

さて、妻の態度にむっとした夫は「つねづねその態度が気に食わん。息子の母だと思って我慢してきたが、もういい、出て行け!」と怒鳴ります。奥さんだって黙っていません。「こっちだって堪忍袋の尾が切れましたよ。そんなに言うなら離婚しましょ、その印をください」と言い出します。

夫は「おう、印をやるぞ」と手を見せる仕草をするのですが、ここがよくわからなかった。たぶん、指を噛んで傷つけて血判を取れ、みたいなことなのかな。ともかく奥さんが「そんな印じゃダメよ、何かちゃんとした証拠をちょうだい」と言うと、夫は一腰(ひとこし)、つまり小さめの刀を差し出して「出て行け!」。妻はそれを抱えて実家に帰るのです。夫は「いいぞいいぞ、さあ出て行け。さっぱりしたから飲み直しだ」と、アホなことを言いつつ退場します。

実家の玄関でお父さんを呼び出し、「夫が酔っ払って帰ってきてひどいことを言われた。もうあんなところにはいられないから、ここに帰らせてちょうだい!」と訴える妻(=舅の娘)。それに対して舅は「夫をうまくいなすのが妻だろう」「7回は許せと言うぞ」「だいたい、あいつが酔っ払って調子に乗るのはいつものことだろう」となだめるのですが、妻の腹は収まりません。「今まで散々我慢してきたけど、もう限界。離婚します」。

本当に落語やホームドラマみたいな展開。ここで舅が「そんなに言うならもうお前はあの男のところには帰るな。きっとあいつは明日になったら我に返って迎えに来ると思うが、絶対この部屋には近づいたらいかんぞ」と言いきかせます。こうやって条件設定をすることでドラマが成立するんですね。

翌朝の夫。「起きたら妻がいなくて息子が枕元で泣いている。近所の人に聞いてみたら笑われた。迎えに行かなくては」と、妻の実家へ向かいます。渋い顔をしている舅に「ご機嫌がよさそうで何よりですな。そういえばあなたについてはいい話しか聞きません」とコビコビ。
夫、実はまじめで気が小さい人なのでしょうね。「みんな、こう言っている」方式のしゃべりで舅の気を引こうとするのですから。自分に自信がある人はそんな言い方しないだろうし、そもそも酔った時だけ気が大きくなって妻に当たり散らすこともないはず。

ご機嫌を取りつつ夫は「昨日は酔って妻に当たってしまったが、今朝きっぱりと酒をやめました。この上は妻を返してください」と舅に頭を下げます。でも、このやり取りも度々繰り返されてきたのでしょう。舅は「お前はいつもそうだが、もう娘は返さない」と跳ねつけます。

ひたすら謝る夫 vs 断り続ける舅。その会話を隣の部屋で聞いていた妻。近くにいちゃダメって言われていたのに・・・。妻は舅(=父親)に近づいて袖を引きます。舅は娘の手を払い、「出てくるな」という仕草をするのですが、とうとう妻と夫は舅越しにばっちり目が会い、えーいと舅を押し転がして、手に手をとって帰ってしまいます。気の毒な舅さん。2人の後ろ姿に向かって「来年の祭りには呼ばぬぞよ」と声をかけるところで終わります。

「もうこれっきりにしろよ」「いい加減にしろ!」「結局2人がいいんだな」など、いろんなニュアンスがこもったいいセリフ。「来年の祭り」というところが突飛でもなく、リアルに傾きすぎず、すごくいい。石田さんの優しげな雰囲気が舅にぴったりだし、高野さんが演じた憎たらしいけど気の小さい酔っ払い夫、なかなか味わい深かったです。
ちなみに萬斎さんの解説によると、冒頭で酔っ払って登場するのは、『貰聟』と『法師が母』の2曲だけだそうです。

大トリの『禰宜山伏(ねぎやまぶし)』。山伏を野村萬斎さん、対する禰宜をお父様の野村万作先生、茶屋の主人を深田博治さん、大黒天を子方の三藤なつ葉さん7歳が演じます。なつ葉さんは御年90歳の万作先生のお孫さん。3世代そろっておめでたいですね。大黒天は子供でなくてもよいそうですが、子供だと、家庭でお祭りしている御祭神にぴったりのサイズ感でより楽しい気がします。

まず、伊勢の禰宜が登場。旦那周り(スポンサーさんへのご挨拶といったところ)をするために京都に行く途中で、なじみの茶屋で一休み。床几(=椅子)に腰掛け、朴訥なご主人が出してくれたお茶をおいしそうに飲みます。「あなたのお茶はいつもおいしい」というところに、人柄の穏やかさと世慣れた雰囲気が感じられます。

そこに、羽黒山の山伏が登場。かかとを高く持ち上げたえらそうな歩き方が山伏のトレードマーク。そういえば「にほんごであそぼ」で萬斎さんが演じるにわとりも、山伏にちょっと似たウキウキ歩きをするなあと連想しました。山伏は修行を終えてすごい法力を身につけたところ。たぶん気分が高揚しているのでしょう。「水でも茶でも飲みたいところだが、お、こんなところに茶屋が」と、くだんの茶屋に入って、偉そうに「茶をよこせ」とオーダー。主人がお茶を渡すと「ドゥーン」と、村上ショージさんみたいな声を出して茶碗を受け取り、ぐびり。熱いと文句をつけるので、主人が水でうめて出すと「ぬるい」。見兼ねた禰宜が主人に「淹れ直してやりなさい」といい、主人がお茶を入れ替えていると、山伏は、禰宜だけ椅子に座っているのが気に入らんとワーワー騒いで出て行ってしまいます。

災難でしたな・・・とばかりに茶屋の主人と禰宜が顔を見合わせているところに山伏が再び登場(この辺りの展開、とても早かったので次回はもうちょっと気をつけて見ようっと)。「おい禰宜、俺の肩箱(棒の先にくくりつけた箱で、山伏はいつも棒を肩に担いでいる)を今夜の宿舎まで運べ」と命じます。おとなしい禰宜も、さすがにそれはと拒否。この2人の会話を茶屋の主人が取り継ぐのですが、埒があきません。

そこで主人は「それでは2人で勝負したらどうだ。うちに大黒天があるからそれぞれ祈って、大黒天が振り向いたほうが勝ちだ。負けた方は勝った方の荷物をかついで宿舎まで運べ」というところで話を取りまとめ、そこでおもむろに大黒天=なつ葉さんが登場。
小さな床机に腰掛けた大黒さまに禰宜が祈ると、大黒天は禰宜に向き直り、うんうんとうなずきます。「さあ、禰宜さんの勝ちだ」と主人が言うのですが、山伏は「まだ俺が祈ってないぞ」と、数珠をジャラジャラこすりながら祈り出す。大黒様は、担いだ小槌で山伏をポカポカ叩きます。これで勝負あったはずなのですが、「もう1回」で同じことが繰り返され・・・。最終的に、山伏が大黒様にポカポカされながら追い込まれてエンディング。

裏も表もない対決ものの狂言でした。対決ものというと狂言『宗論』を思い出しますが、あちらは仏教同士で最終的には仲直り。一方、『禰宜山伏』は神道vs仏教になるのか。でも、神道が勝ちというわけではなく、狂言の山伏は乱暴者でおっちょこちょい、負け役にふさわしいということでしょうか。シンプルでわかりやすい曲でした。

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