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五流の愉しみ ワークショップ

能楽シテ方5つの流派からお一人ずつが出演し、流派の違いなどをわかりやすく解説するワークショップが開催されました。

ご出演は、宝生流の小倉健太郎(おぐらけんたろう)さん、
喜多流の佐々木多門(ささきたもん)さん、
金剛流の豊嶋晃嗣(てしまこうじ)さん、
金春流の山井綱雄(やまいつなお)さん、
観世流の清水義也(しみずよしなり)さん。
5人とも1972〜73年生まれで51歳くらいの、ほぼ同級生です。
最初のご挨拶で「五十歳を超えたおじさんたちの会にお集まりくださって・・・」とおっしゃっていましたが、客席を見渡すとそれぞれの能楽師さんのファンやお弟子さんらしき、マダムがほとんど。出演者の皆さんがおじさんだったら客席は・・・?? 若干のドキドキ感から、会が始まりました。

扇子の違い

オープニングはお一人ずつ、「四海波(しかいなみ)」の謡から。言葉遣いや抑揚が微妙に違うのが、素人にもなんとなくわかります。パンフレットに掲載された歌詞を追いつつ、みなさんの豊かな声を味わいました。

続いては、各流派の奥義の違い。宝生流は1尺5分で五雲(ごうん)、喜多流は1尺5分で三つ雲、竹はかまぼこ型。金剛流は1尺1寸で金剛雲(こんごうぐも)と九曜星(くようぼし)。金春流は1尺1寸で、関東は五星(秀吉から賜ったお団子の模様とか)、関西は雲。観世流は1尺1寸で観世水だそうです。
喜多流は一番遅くに生まれた流派なので、他との違いを出そうとする傾向があるというお話も、興味深く伺いました。

能楽師になったきっかけ


次はQ&Aコーナー。お一人ずつ、能楽師になられたきっかけと、「もしシテ方でなかったら?」をお話しくださいました。
金春流・山井さん
「祖父が能楽師で、私が小さいときはすでに病気だったけれども、周りの大人が後継になることを勧めてくれて5歳で初舞台を踏みました(そのときお祖父様は亡くなっていたそう)。小5で祖父の追善能『経正』を演じ、祖父を超えたいという思いで続けてきた」
「シテ方でなかったら狂言師。以前、乱能で狂言をしたときに受けたから。ロックバンドや俳優にも興味あり」

喜多流・佐々木さん
「実家が岩手県平泉の中尊寺に関連するお寺で、代々能を継承していた。父が能の道に入り、そこで母と出会った」。能を継ぐのは必然だったとのこと。「能以外の仕事はモノになりそうもない。先輩の期待に応えるためにもやはり能楽師」という真面目なお答えでした。

観世流・清水さん
「観世宗家で代々能をやってきたが、戦中に生まれた父はできなかった。そのため素人として能を習い、5歳で初舞台、10歳のときに能楽師を志し、それからたくさん本を読み、舞台を見て勉強してきた。息子が今年子役を卒業したのでまた代々続けたい」
「旅行が大好きなので、能楽師でなかったらツアコンになりたい。お弟子さんたちと宇治の平等院に行ったこともある。そのときはフォトスポットに背を向けて『頼政』にゆかりのあるところの写真ばかり撮っていたけれど」

金剛流・豊嶋さん
「広島の厳島神社に使える家に生まれ、そこでは江戸時代から能をしていた。祖父は6人兄弟で、兄弟のうち3人がシテ方、3人がワキ方。中には原爆で亡くなった人もいる。自分は祖父の願いで能楽師に」「子どもの頃、新幹線の運転手になりたいと思ったことがある」

宝生流・小倉さん
「祖父の兄が野口兼資先生の素人弟子で、祖父も兄に誘われて稽古を始め、10代の頃から書生として野口先生の身の回りの世話をしていた。父も祖父を継ぎ、自分も継いだ。でも子どもの頃から能楽師になることに迷いがあり、初舞台は小6の『鞍馬天狗』。大きくなってからだった。中学生の頃は稽古が嫌でたまらなかったが、父が『やめたければやめればいい、お前なんかいらない』というのにカチンときて、高卒で宗家の書生に。もうやめられなくなった」。「なので、子どもの頃は八百屋になりたい、鉄板焼き屋になりたいなど、いろんなことを言っていた」

仕舞を実演

同じ曲でも流派が違えばまったく違うということで、舞を見比べてみるコーナー。3曲披露してくださいました。
1曲目は『高砂』。金剛流と喜多流が舞い、観世流が謡います。最初の座り方が違いますが、喜多流は金剛流から出たので、似た部分もあるようでした。
2曲目は『八島』。金春流と宝生流が舞い、金剛流が謡います。宝生流は2本の扇を剣と盾に見立てて使っていました(喜多流、金剛流も2本使うそう)。1本の流派は、扇を閉じれば刀、開けば盾になるそうです。
3曲目は『猩々』。観世流が舞い、ほか4人が謡います。歌詞や音程が微妙に違うのに、周りに引っ張られずに謡うのはさすが。

普段は1人ずつしか見られないので、振り付けが全く違うのがよくわかりました。舞台を半分こしてうまく舞われていたので、ある意味、連舞のように見えて美しかったです。

能楽師になってよかったこと?

後半は、観客を交えての四海波の謡いのお稽古。続いて2つ目のトークコーナーです。「能楽師になってよかったこと」「やりがい」「モチベーション」の3つから、1つを選んでお一人ずつ答えます。

宝生流・小倉さん
「芸の道なので楽しさもなく、モチベーションというような華もなく。弟子に毎日うたえて羨ましいと言われるが・・・。ただ発声のことはいつも頭にあって、どうしたら喉が開くかを毎日、要所要所で考える」

金春流・山井さん
「舞台に立ち続けたおかげで、デーモン閣下と会えるなどいいことがある。それはさておき、私は今の家元の祖父・のぶたか先生に、24歳から前家元に師事している。32歳で『道成寺』を披く時にのぶたか先生に挨拶に言ったら『いくつくなった?』『がんばれ、応援しているよ』とお言葉をいただいた。それを励みにしている」

喜多流・佐々木さん
「高校生のとき、中尊寺の能舞台での公演で野村萬斎さんに『君はこの能舞台のために生まれてきたような人だ』と言われ、当時はムッとしたが、今ではその通りだと思う。継承することがモチベーション」

金剛流・豊嶋さん
「特別なモチベーションはない。普段から暗記に時間を使う。地方公演では現地集合。各家で練習してきたものをぶつけ合って舞台を作るが、いい舞台になったときは唯一、いいものだと思う」

観世流・清水さん
「自分は能フリークなので、みんなに良さを伝えたい、次世代につなげたいというのがモチベーション。能は神仏に捧げるものなので、決められたことを正確にやるのが身上。いい舞台とかどうこうではなく、正確にという気持ち。観世流は大所帯で、自分はまだ下っ端だがもっとがんばっていきたい」

といったところで小倉さん。
「私は能が好きじゃないとかネガティブなことを言いましたが、やっぱり好きです。イヤだけじゃないのよ」と笑いをとっていらっしゃいました。

「うちの売りはコレ」

最後は観客とのQ&Aコーナー。面白かったのは、それぞれの視点で見る流派の違いのお話でした。

「金剛流は、”舞金剛”といわれるように、金剛流は手数が多い。田舎芸と皮肉られることもある。『船弁慶』の後半のように写実的なものが得意だが、形が多く、舞台後はヘトヘトになる。『土蜘蛛』の蜘蛛の巣を開発したのは金剛流」

「宝生流は写実性を消し、形には派手さがない。止まっている姿で引き込みたいので、彫刻を見るような感覚で見てほしい。”謡い宝生”と言われるように謡を主にやってきた。押し出す美しさではなく、秘めたものを薄衣でくるんで漏れる光のような美しさを目指す」

「金春流は一番古い。秦河勝に由来する。最も大切にしているのは『翁』。春日大社の芝生で毎年上演するのが原点。屋外で演じるので手足を目一杯使って大きく舞う。古様(こよう)、プリミティブな部分がある。」

「観世流はとにかくきっちり。パワーをはっきりと出す。曲目が最も多く、5つのジャンルのうち脇能、『高砂』のように華やか、晴れやかで秋原生のあるものが最も多い」

「喜多流は、徳川二代将軍の時代に生まれた新しい流派。他流のいいとこどりをしている。竹を割ったようなカラッとしたところがあり、色合いをあえてつけないのが良いとされている」

五流の違い、個性がとてもよくわかって楽しかったです。そういう風に見ると、能公演がもっと面白くなりそうです。




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