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2021年6月「狂言劇場 その9」より『武悪』

普段は能楽堂で上演される狂言を、現代の劇場でパフォーミングアーツとして上演する「狂言劇場」の9回目。今回は、古典狂言の大曲+新作狂言というボリューミーな組み合わせでした。

Aプロは、野村萬斎さんがラジオ #職業、野村萬斎 で「大曲中の大曲」と紹介されていた『武悪(ぶあく)』と、萬斎さんのお父様である野村万作先生の創作による『法螺侍(ほらざむらい)』。『法螺侍』は、シェイクスピアの『ウィンザーの陽気な女房たち』を基にした狂言です。

さて、『武悪』。通常の狂言が15分から20分程度の長さとすると、たしかに長い! 大作です。たぶん40分以上はあると思います。最初から最後まで通しで演じられますが、前半と後半ではっきりとトーンが違う。お芝居としてもすごく見応えがあります。ストーリーもひねりがあるので、初めて見たときは魅力的だけれど難しいなと感じたのですが、今回は「狂言劇場」ということもあってか、すばらしくわかりやすくて、2回目にしてしっかりと味わうことができました。

登場人物は3人。主人(石田幸雄さん)、武悪(野村万作先生)、太郎冠者(野村太一郎さん)です。

登場シーンから、不穏な空気。眉をひそめ、怖い顔をして太刀を持った主人の後を太郎冠者が静々とついてきます。主人は奉公にこない武悪に腹に据えかねていて、「もうあいつを生かしておくわけにはいかない。太郎冠者、あいつを殺してこい」と言いつけるのです。狂言らしい朗らかな空気なんて微塵もない。奉公にこないから殺すと言い切り、それ以外の理由をとくに述べないことがますます恐ろしい。

同僚を殺せと言われた太郎冠者、さすがに焦ります。しかも、武悪と太郎は幼馴染。「あいつは病気だし、長い付き合いの私に免じて今回は許してください」ととりなしますが、主人は譲りません。「いうことを聞かないならお前も殺す」と言い放つのです。この時の太郎の表情が微妙でドラマティック。武悪を責められて心底困る、焦るというよりも「この主人は困ったものだ。だいたい武悪のやつも・・・」というくらいの客観性が、私には感じられました。誰かの言いなりでもサブキャラでもなく、太郎冠者の人格がしっかりと固まっているように感じます。

いきり立つ主人を前に、ついに太郎冠者は「承知しました」と、主人から太刀を受け取ります。そして「背に腹はかえられぬ。引き受けたからには役目を果たさねば」と太刀を持って武悪の家に向かいます。とはいえ、幼馴染だし、腕の立つ武悪にいきなり斬りかかるのもしんどい話。「そうだ、だまし討ちにしよう!」と、まるでナイスアイディアを思いついたように、サクサクと歩んで武悪の家に到着。

明るい顔で太郎を迎える武悪。「お前か、だったら断りなく家に入ってもいいのに」と迎えると、太郎も「最近、具合はどうだ? 奉公には出てこられないのか」と世間話に。「そろそろ出仕しないとまずいんだけど、行きづらいんだよな」という武悪に、「じゃあ、主人に来客があるから、魚でも持っていけば? お前は魚取りが得意だろう」と太郎は勧めます。それはいい考えだ、と二人は武悪のとっておきの生簀へと移動。その道すがら、太郎は何度も後ろから斬りかかろうとし、失敗します。この時、太郎はまだ本気を出していなかったのか、武悪がラッキーだったのか・・・。

生簀につくと、武悪は太郎も一緒にと誘いますが、「見ているだけでいい」と断るので、一人で水の中へ入り、魚を追います。ここで太郎は裃の片肌を脱ぐ。いよいよ本気を出すのです。「魚が獲れたぞー」とうれしそうに水から上がった武悪に、主人の太刀で斬りかかる太郎。驚く武悪。太郎が「主人の命令でお前を殺しにきた。見ろ、これは主人の太刀だろう」というと、武悪はあっけにとられつつも事情を察します。
武悪「お前は幼馴染だから、主人に言い訳してくれてもよかったのに」
太郎「それをしない俺だと思うのか」
武悪「それなら家で言ってくれれば妻子に別れを告げられたのに」
太郎「別れがいっそう辛くなるだけだ」

事情と心情を語る台詞がこれだけ連なるのも、狂言では珍しいのでは? 会話が進むごとに、もう抜き差しならない状況であることが明白になってきて、武悪はついに腹を括ります。「では仕方がない、斬ってくれ」と座り込み、首を差し伸べながら、悲しくて泣き出してしまうと、つられて太郎もエーン、エンエン。ようやく雰囲気が軟らかくなってきてほっとしました。
太郎「斯くなる上は、もうお前を斬れないから、『見えぬ国』に行ってくれ」。つまり、どこかに逐電してしまえということです。武悪に妻子のことはよしなにと頼まれ、太郎は刀を担ぎ直して主人のもとへ。

太郎から「武悪の首を取りました」と報告を受けた主人、ハーッ、ハッハッハーと高笑い。やっぱりこの人、ちょっと怖いかも。最後の様子については「あいつの家で話し合い、首を取ると告げると神妙に念仏を唱え始めたので首を打ち落としました」と、太郎は嘘をつきます。主人は「これで気分が晴れた。考えてみると自分と武悪も古い付き合いだから、これから東山に行って弔ってやろう。太郎、伴をしろ」と、意気揚々と歩き出します。これくらいになると、この直情的な主人の振る舞いに慣れてきて、何だか変な人だなと思うくらい。

ここからが後半です。さっぱりした気分で東山に向かう主人と太郎、向こうからやってきた武悪と遭遇! 主人が「あ! あいつは武悪じゃないか、なぜ生きているんだ」とのぞき見ようとする視線を、太郎は体を張って遮ります。「もう、武悪のやつ! せっかく逃がしてやったのに」と腹も立っていることでしょう。でも太郎は機転を利かせて、「ここは鳥辺野(=墓地)。きっと武悪の幽霊です。私が様子を見てきます」と主人を遠ざけつつ、「こんなところで何やってるんだ!」と、武悪に囁く。すると武悪は「遠くに逃げるとお参りもできなくなるから今のうちに命拾いのお礼を」と言い出します。

一計を案じた太郎は「主人には、あれば武悪の幽霊だと言うから、そういう格好をしてこい」というと、武悪「心得た!」。ここからが狂言らしいところです。白い装束とざんばら髪になり、よろよろと歩いてくる武悪。主人は恐る恐る、会話を試みます。
主人「死後の世界に極楽と地獄はあるか?」
武悪「あるある」
主人「そっちの世界で誰かに会ったか?」
武悪「みんなに会った。主人の先祖、お父さんとも会った」
それを聞いて、父に会ってくれたかと喜ぶ主人。父は何か言っていたかと尋ねます。武悪が「死後の世界にも盗賊が出るが武器がないとお困りのご様子。主人の太刀を預かりたい」というと、主人は喜んで差し出します。さらに、「お父さんが閻魔様に出仕をするために身支度を整えなければいけないから」と刀を取り上げ、「あの世でも謡の会があるから」と扇子を取り上げ。
ついには「お父さんが『あの世の家は現世よりも広いからお前もこい』と言っています」と主人に迫る。主人は「隣の地所を買って、お父さんがいた頃よりも今の家は広くなりました。それに私がそちらへ行くと、お父さんのお弔いをする者がいなくなります」と断るのです。
「それはダメだ」と主人を追う武悪。許してくれーと逃げる主人。あれは幽霊じゃという機転から、巧みなユーモアで主人に仕返しをする武悪と、すっかり信じ込んで素直なキャラに変貌する主人のやりとりが素晴らしくて、ぜひもう一度観たいと思いました。

今回よく理解できたのは、狂言劇場ならでは演出のおかげもあったかも。能楽堂ではかならず目に入る松がないことと、後見がいないこと。この2つだけで物語がぐっとリアルになる気がします。この作品はもともと定型のやりとりは少なめですが、おきまりの舞台装置が外れるだけで、先行きの見えないドラマになることがはっきりと感じられました。ドキドキもあり、狂言らしさもあり、すばらしい体験ができました。

「法螺侍」についてはあらためて書きたいです。


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