サービスとは何か。


アパレルショップで働いている友人がいる。

友人と話していてこんな言葉が出てくる。

「服を見ている時に話しかけられるの、嫌なのはわかるけど無視はさすがに傷つくんだよね〜」

服を見ているとほぼ必ず「何かあったらお声がけくださいね」と声をかけられる。

あの声掛けに対して、声をかけられるのが好きだとか、苦手だとか、出来れば声をかけて欲しくないだとか、聞きたいことがある時に限って声をかけられないだとか、そんな議論を誰しも1度はしたことがあるのではないか。

この議論は、結論、服屋で声掛けは必要な時以外あまりして欲しくないという意見に達するイメージがある。


しかしその議論の中で、向こう側の意見というのは出てきたことは恐らくないだろう。

「ご試着もできますよ」「他のお色味もありますので声をかけてくださいね」「この形可愛いですよね。新作なんです」という店員の声掛けに対して、明るく社交的に返す人はどのくらいいるだろうか。声をかけられたくないオーラを出したり、返答もせずに頭だけぺこりと下げて無視をする人もきっといるだろう。


ただし向こうも人間なのだ。仕事だから、慣れているだろうから、そんな言葉で片付けてしまえばいいが、たとえそうは思っていても、話しかけないで欲しいオーラを出したり、無視をされて気持ちがいい人はいない。



逆に古着屋はどうだろうか。

私は古着が好きなので、よく下北沢の古着屋に足を運ぶ。

古着屋はほとんど店員さんからの声掛けはないし、「いらっしゃいませ」という言葉すらない時もある。

自由に見て、自由に出ていくのだ。

しかしそんな声掛けがないことに対して「古着屋って入りにくい」という印象を抱いている人もいる。

いらっしゃいませの言葉がないと、一見さんお断りの雰囲気を感じるし、仲間内だけでやっている中に見知らぬ自分が入り込むことに恐怖を覚える気持ちもわからなくはない。

だがしかし、一見さんお断りなどといった気持ちは、おそらく古着屋側からしたらさらさらないだろう。



変な矛盾だ。

必要じゃない時に声をかけられても買い物がしにくいし、声をかけられなさすぎても店に入りにくい。

結局のところ日本人は、"私に対して、声をかけてほしいか否かを察し、必要な時に必要な声掛けをして欲しい"という結論に達する。


しかし初見のお客さんに、そこまで気を使うべきか。

もちろんアパレルショップで働いている店員さんはプロだ。だからこそ声掛けの需要まで十分吟味した上で声をかけてきてくれる人も沢山いるだろう。

ただしその需要のくみ取りが100%かというと、それはまた別の話だ。自分にとってその声掛けが必要じゃなければ、相手が傷つかない態度で断るべきだし、声をかけて欲しいと思ったら自分から店員さんに声をかけに行くという形が1番いいのではないか。


声掛けが厄介、声掛けが足りない、などという議論があること自体、高望みなのかもしれない。



日本人は、飲食店で座ればまずおしぼりとお茶が出てくるし、あれが欲しいこれが欲しいといえば自分が動かなくとも店員さんが店中を駆け回り、希望にあったものを持ってきてくれる。病院や保育園ですら"お客さま"のような対応を求める人がいる。

想像を超えた、行き届いたサービスができる"おもてなし"の心は日本の素晴らしい文化であると思う。

ただしそれを"当たり前"に思う文化はいらないのではないか。

サービスを提供する相手に必要以上に求め、傲慢になっていると自覚を持ち、改めてサービスとはなにか考えていきたい。

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