道元の和歌
世の中は 何に喩えん 水鳥の 嘴ふる露に 宿る月影
月影というから時間帯は「夜」とか、あるいは太陽が昇る直前位でしょう。そんな時間帯に湖畔とか川辺に水鳥が水面に嘴(くちばし)を入れて、プルプルとふるうと、何千、何万もの水滴が空中に放たれます。
そのすべての水滴に「月」が宿っている。
これが、「世の中」として例えることができるとしています。道元は、ここで「月」を「仏」とし、水滴を「我々」としているわけです。つまり、「すべての人間に仏性は宿っているのだよ」ということを和歌にしているわけです。
道元の和歌で有名なのは、
春は花 夏ホトトギス 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり
冬に雪が冴えるのはいいとして「すずしかりけり」はちょっとノーアイデアになったのかなと思います。せめて「静かなりけり」あたりのほうがいい感じじゃないでしょうか。川端康成さんが、ノーベル文学賞受賞の時にスウェーデンで、この和歌を披露したそうです。
仁治3年(1242)、六波羅探題評定衆の一人であった波多野義重に説法をしたことを縁として義重の知行地である越前に寺を創建する。
宝治元年(1247)、道元は鎌倉に赴くが、北条時頼の招請であったことになっているが波多野義重から懇請されたことで断れなかったとのことで、道元は権力に近づくことを嫌がった。現世で、政権に加わっている宗教系の政党とは大きな違いです。
尋ね入る 深山の奥の 里ぞもと わがすみなれし 都なりける
をやみなく 雪はふりにけり 谷の戸に 春きにけりと 鶯ぞ鳴く
山の端の ほのめくよひの 月かげに 光もうすく とぶ蛍かな
山ふかみ 峰にも尾にも 声たてて 今日も暮れぬと ひぐらしぞなく
人しれず めでし心は 世の中の ただ山川の 秋のゆふぐれ
山ずみの 友とはならじ 峰の月 かれも浮き世を めぐる身なれば
長月の 紅葉のうへに 雪ふりて 見る人たれが 歌をよまざらむ
このように、道元の和歌には自然との一体感を謳っているものが多い。
道元は、宗派名を禁じ、禅宗とすることも拒否した。どうしても名乗るのであるならば「仏心宗」とすることを指導した。曹洞宗と名乗るのは4代目、5代目あたりからだそうである。
人の心は常に外に向いている。道元は、その心を内に向けることを勧めている。自分の能力を外に向けて立身出世を望むことに全力を上げることで自分自身が変質し変容してしまうことに気づかないものである。
自分自身のもつ光明は、自分自身を省みることに照らすべきである。道元は月をこよなく好いて、山の峰に庵を作り、そこでただ一人大自然の中で自分の考えを深めていったとのこと。
自分自身に「我」という実態があると感じるのは誤りである。悠久の昔から生をつないできているだけで、いかに我に執着したところで呼吸が止まればたちまち骸となり土に返ってしまう。
自己をいかに極めようと思ったところで完成することはないのだから、もっと自然と寄り添った生き方をするべきだと諭している。
このあたりの考え方は荘子に共通している。
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