【#016】_『時間』について

本日もお疲れ様です。谷﨑です。

昨日のnote投稿のテーマは『空間』だったので、本日はそのテーマと対比されることの多い『時間』について投稿してみようと思います。

『時間』というものは、常に流れている、という風に認識している人がほとんどだと思います。
電池の入っているアナログ時計を見れば、絶えず秒針は動き続けるでしょうし、アラームを設定しているデジタル時計は、朝、必ず決まった時間にベルを鳴らすでしょう。

パソコンやスマートフォンに表示される時計を見れば、刻一刻と時刻が過ぎていくことは自覚できますが、そもそも『時間』という概念は、人間の感覚ではっきりと認識・知覚することができるものなのでしょうか。

一般的に『空間』は、〝X Y Z 軸〟の「3次元」で表現されることができます。
〝線〟の1次元、〝平面〟の2次元、〝立体〟の3次元、という風に次元の数が増えるにつれてその空間が内包できる情報量が増えていきますが、
数学的には〝時間〟も「一次元」的なものであると定義されていたような覚えがあります。

ただ、私としては現実世界で流れる『時間』は我々の生きる〝3次元〟の空間と切り離して考えるべきではないと思っていて、
〝3次元の『空間』に次元を1つ追加して、空間そのものがもう一つの次元(t軸)の上で遷移していくこと〟が『時間』なのではないかと考えています。

〝時間の知覚〟について前述しましたが、
私たちが時間の経過を実感する最も具体的な例としては、一年を通しての四季の変化や、一日の中の朝・昼・夜の変化があります。

さらに、年齢を重ねることも、最も身近な〝時間の経過〟であると思います。
生物学的な意味でのヒトとしての肉体は、およそ〝37兆個〟を超える数の細胞で構成されています。

一つひとつの細胞には〝核〟が存在し、細胞分裂を繰り返し行うことで身体の全体的な機能を維持しているわけですが、細胞分裂を繰り返し続けると、〝細胞周期〟が限界に達し、それ以上は細胞分裂ができなくなります。

この〝細胞分裂〟に関わる染色体の構造として、「テロメア」「テロメラーゼ」というものが挙げられます。
生物学について詳しくはないのですが、この〝細胞分裂〟によるDNAの損傷や劣化を防ぐ働きのあるものだったと思います。

分裂を繰り返すことで、「細胞老化」という現象が起きるようですが、
一方で、「がん化」した細胞というものは、上記の〝細胞分裂の回数制限〟がなく、細胞分裂の〝永続性〟を獲得するそうです。

細胞が〝がん化〟すると、その細胞自体は人体の生命維持機能が継続するかぎり、半永久的に分裂を続ける、という点が、(純粋に生物学的な意味で)興味深いと思っていて、
この事象を抽象化して捉えると、身体の中の一部分は〝永続性〟を獲得しているのに対し、身体全体で見ると、一個としての〝生命の断続性〟に近づいている、と表現できるような気もします。

〝部分としての永続/永遠の機能の獲得〟が、(身体)全体としての「終焉」とも呼べるべき状態に近づく、という矛盾は、おそらく生物学(を含む自然科学)上の主題としてだけではなく、人文/社会科学においても取り扱われるべきテーマなのではないか、という予感を持っています。

話が大きく逸れてしまいましたが、ヒトが『時間』という概念をいかに知覚するか、というテーマについては、『生命の誕生と成長、老化といずれ迎える死』という事象の発生で、強く記憶に刻まれるのではないでしょうか。

この地球上で生きるヒトや動物、植物にいたるまで、どんな〝生命〟にも生きている状態で存在できることは永遠ではないわけですから、それが軽んじられる、といったことは(道徳・倫理的にも)あってはならないことだ、と個人的に考えています。

この部分の議論の延長線上にあるのが、『生存権』に関する議論だと思っていて、その範疇には、〝いのち〟に関わる様々なテーマが含まれています。

「死刑」や「殺人」、医療の分野における「安楽死」や、国際法上の「戦争」、〝動物の愛護および管理に関する法律〟における「動物虐待」に関する行為など、「生命を奪い、侵害する行為」に関しては、学説間の複雑な論争の積み重ねがあったと思います。

そういった議論についても、自分の中で整理し、単純化することができたら、noteなどを使って投稿していきたいと考えています。

今日もかなり論点が散らばった文章になってしまいました。
この投稿についても、後に内容を整えようと思っています。

まもなく午後7時ですが、この後もお仕事をされる方、お仕事の予定が控えている方、頑張ってください(皆様、無理をしすぎることのないように…)。
私も引き続き、頑張っていきます。






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