20230802 感情の観察

 I研の領域たるAの席に、いつの間にかH研の4年生が座っていた。何やら(英語のリスニングか何かの)音が聞こえると思って振り向いたら、いつの間にか座っていた。今日Aは来ていないので、勝手に使っているのだろう。

 これに対し、自分はムッとした。排除的思想が現れたのを感じた。しかし理由はある程度明確で、自分のコミュニティの領域に他コミュニティの人が勝手に入ってきて、場所を使っている。それだけでなく、皆が静かに作業をしている中で音を出している。迷惑と感じるには十分な状況である。

 思考実験的に比較をする。Aが音を出していたのなら分かる。集中力を乱されてもある程度までなら許容できる。また、音を出していなかったのであれば、他所の人がいても許すことはできる。フリーアクセス的に、場所を変えて作業したかったのだろうか、と汲むことも可能である。

 しかし、この感情に正当性はあるのだろうか。I研というコミュニティは確かに存在するが、I研を含むいくつかの研究室群は、学生室が共用の大部屋なので、他研究室の人を拒む理由はない。実際、設計などグループ活動で他研究室の人と作業をするときは、自分もそちらへ移動したり、I研の方へ招いたりする。このやり方と何が違うというのだろう。一つには、許可を得ているかいないかがある。しかし、それはそこまで大きな違いなのだろうか。

 このように、自分の感情を一つの対象として、その理由や正当性を注意深く観察して思考するのは、重要なことなのではないかと、ふと思った。少なくとも、興味深い行為である、と。

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