何もしない人

語弊があるかもしれないけれど、今一番強みを発揮するのは「何もしていない人」かもしれないと思っている。つまり無職、またはニートあるいはホームレス。

ある日突然、貨幣社会のハシゴを外された地球人の物語は笑うに笑えない。都市封鎖や外出禁止、自粛要請。全ての貨幣社会に基づく行動を「一旦やめてください」と言われる空気の中、日々はその貨幣社会に縛られている。

給与所得者はまだその実感がないかもしれない。会社という組織は数ヶ月はだましだましなんとか持つだろうし、社会倫理からしていきなり社員の給料をカットしたり解雇したりできないからなんとかなってんだろうくらいに思っているサラリーマンは多いかもしれない。でも意外とそうでもない。

ある日突然ハシゴは外される。つまり、僕らはハシゴをかけられていたことにそこで初めて気付く。そのハシゴ、そのハシゴって一体なんだろう。

僕らは気づかされないうちにハシゴに登らせれていた。多分、その登らされたハシゴに気づき自ら降りた人が「何もしていない人」なのかもしれない。

もしかしたら次の未来は何もしないことで生きていく方法を見つけていくことなのかもしれない。それに敏感な人は自らハシゴを降りた。でも貨幣社会には降りた地面からはハシゴに登っている人は上に見えて居心地が悪い。けどそのハシゴって一体なんだろう。

例えば百貨店。今回のような有事に最も影響を受ける既存産業。でも、そもそも品揃えの多さを売りに「百貨店」というならば、現在においてはなんでもあるAmazon以上の百貨店はないかもしれない。「百貨店」というブランドを売るには品揃えではもう行き着く先がないことは明らかで、品揃え以外の「何か」にシフトチェンジしなければ百貨店は百貨店でなくなってしまう。でもそれがなかなかできないし、成功体験はなかなか忘れられないし、習慣はなかなか変えることはできない。

でも経験したことのない現実が今この世の中に起こっている以上、経験したことのないチャレンジをしないと立ちすくむばかりだ。「何もしない」ことによって何かを生み出すというようなことが本当にあり得るのだろうか。経験のない出来事は誰も理解できないのだから仕方がないよな。



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