本当の姿
37歳のジョコビッチがオリンピックで金メダルを獲った。
34歳の錦織圭がトップ10チチパスに勝った。
感動している。
ただ、その感動した理由はスポーツ選手としての高齢選手が活躍したことではない。二人の本当の姿を垣間見れたような気がしたからだ。
「本当の姿」とは何だろうか
その人の職業、実績、収入、人柄、夢、裏の顔、悪いところ…どれもその人自身であることは変わりないのだが、それらを総じて何か一貫したもののような気がする。
私の主観ではあるが、B'zというアーティストの曲で、最もB'zらしさ、本当の姿が表れている曲は「ALONE」だと思っている。
この曲、実は最初のリリース時と、その後のベストアルバムなどとは少しアレンジが変わっている。
1991年に発売されたシングルでは、シンセサイザーの前奏から始まっている。
つづいて2002年に発売された「The Ballads」
このアルバムではコーラスから始まり、前奏へと続いている。私はこちらの方が好きだ。曲というものの構成は、メロディラインといわれる主旋律と、ハモリやコーラスのような副旋律とに分類できる。B'zの「ALONE」構成は大きく4つに分類できる。
レコーディングした歌、楽器伴奏、コーラスなどをミックスといって調整をする。音を様々な要素で調整するのだが、本記事では「音量調整」のみにスポットを当てっている。「音量調整」とはメインになる部分の音を上げ、サブになる部分の音量を下げるといった調整である。
「音量調整」の大きい小さいを横軸に「ALONE」の構成を見取り図にしてみた。
「ALONE」には、この構成に素晴らしさがある。曲自体の主旋律を稲葉が歌う素晴らしさがメインではあるのだが、副旋律のコーラスを曲の頭にメインで持ってくるように、この曲にはずっとベースに副旋律のコーラスが流れているのだ。それに加えて本来なら曲のサビに、最大音量、最大高音を持ってくるのが一般的だが、この曲では、間奏のギターソロ(松本演奏)が最大音量、最大高音となっている。そして最後は、主旋律の曲が終わってから、この曲にはこのベースがずっと奏でられていたというように、曲の最後は副旋律のコーラスのみが残る形になっている。つまりこの曲の本当の姿は主旋律のメロディーでもなく、松本のギターソロでもなく、副旋律のコーラスにある。
詩を書き、それを歌う稲葉。
曲を書き、それを演奏する松本。
そこに最新のシンセサイザーをミックスさせる編曲。
これがB'zだと思う。
稲葉と松本という違う個性と個性の間に流れる川のようなものがB'zの曲にはある。その川がB'zにとっての本当の姿であり、それが最も美しく配置されているのが「ALONE」だと思っている。B'zの本当の姿というのは、オリコンチャート50作連続1位でもなければ、シングルトータルセールスが3596万枚でもない。
3年前にテニスをはじめた次男は錦織圭の活躍を知らない。でも、最近になって圭くんの魅力に取り憑かれてる。観ていてテニスが楽しいらしく、観たら早くテニスをしたくなるらしい。けして次男が取り憑かれているのは世界ランキング4位まで到達したことでも、チチパスに勝ったことでもない。観ていて楽しそうなテニスをしている圭くんの姿が好きなのだ。
ジョコビッチのオリンピック勝利したときの喜びようと涙は、グランドスラム優勝を24回もしている人間とは思えない。オリンピックでここまで喜ぶ姿は、本人だけのものではないであろう。1990年代から始まったユーゴスラビア、クロアチア、セルビアと続く紛争で多くの人が犠牲になり、その紛争にもアメリカやロシアといった大国が後ろ盾になる代理戦争でもあった。そして今、同じようなことが別の地域でもまた起ころうとしている。紛争の真っ只中に生まれ、紛争で母国を離れたジョコビッチの本当の姿がそこにはあった。
本当の姿は自分だけのものではない。自分の中に存在するもう一人の自分、生い立ちに関わってくれた人たち、環境。いろんな人生のステージで出会った仲間、学校、職場。読んできた本、観てきた映画、聴いてきた音楽、描いてきた絵も関わると思う。そんな関わった全てのもとのハーモニーから生まれるものだと思っている。ときに本当の姿は、人によって違う場合もあり、変わる場合もある。
本当の姿とは、いつも一番見やすいところにあるわけではない。見やすいところにあるのに気づかないこともある。しかし、いつも必ず存在している。分析や客観視というのは、それぞれ本当の姿を垣間見ることだと思う。
圭くん 次男や子どもたちのモチベーションが上がるから、まだまだがんばって
ジョコビッチ 誰よりも世界平和を願っているあなたの想いが届きますように
おわり
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