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木箱記者の韓国事件簿 第13回 鈍行列車の旅

 鈍行列車の旅は旅情があっていいものだ。それも電車ではなく客車列車であれば言うことなし。気ぜわしい日々を忘れたまにはのんびりと鈍行列車に揺られるのも悪くはない。そんな時におあつらえ向きの列車があった。「統一号」だ。かつて韓国の鉄道は特急に当たる「セマウル号」、急行に当たる「ムグンファ号」、準急に当たる「統一号」、鈍行に当たる「ピドゥルギ号」と種別が分かれていた。2000年に「ピドゥルギ号」が全廃されたことで統一号が地域住民の足として都市間輸送を担うことになった。このうちソウルから釜山まで12時間かけて走る列車があった。正確にはソウル市東部の清涼里駅から釜山の繁華街である西面にほど近い釜田駅を結ぶ中央線の列車で、走行距離は494.9キロメートルに及ぶ。当時最速のセマウル号で京釜間が4時間10分だったので3倍近い時間をかけて走るのだ。

 この列車に乗ったのは2002年秋のこと。同好の韓国人の友人と2人、朝6時50分発の列車で清涼里から釜田を目指した。列車に乗ったのはまだ日の出前だ。列車の乗車率は80%ほどとなかなかのものだが、釜田まで通しで乗る客はまずいない。車内は自由席なので適当な席に陣取り、朝食に持ってきたのり巻きをつまみながら旅はスタートした。

 いまでは京義中央線として竜門駅まで首都圏電鉄ネットワークに組み込まれている同線だが、当時はソウル市内を抜けるとのどかな光景が広がっていた。京畿道を抜け江原道に入ると山間部の区間となりトンネルの数が増える。原州を過ぎると中央線の車窓風景のハイライトとなるループ線区間に入る。雉岳山のトンネル入口の上にはこの後で通る線路が見える。ループ線は円周の4分の3ほどがトンネル区間で、トンネルを抜けしばらく行くとさっき走ってきた線路が眼下に見える。

 さらに1時間ほど走ると堤川に到着する。ここで列車は4分間停車するため、ホームに降りて体をほぐすことができた。列車の内外で写真を撮りまくっていたせいか車掌も関心を持ったらしく、車内に戻ると「趣味で乗っているのか?」と話しかけてきた。ちなみに車掌は行程の半分となる安東で交代し、機関車は栄州で付け替えるので機関士も交代する。乗員ですら12時間乗り続けることはないのだ。

 堤川から1時間半ほどで栄州に着く。清涼里からここまでは電化区間のため列車は電気機関車が牽引してきたが、この先はディーゼル機関車が先頭に立つ。機関車の付け替えのため栄州では12分間と長めの停車時間がある。ここではホームの立ち食いうどんでお腹を満たした。これを逃すとこの先釜田に着くまでまともに食事ができる機会はないのだ。無事に機関車を付け替えて栄州を出発すると1時間ほどでちょうど中間地点となる安東に着く。清涼里を出発して6時間が経過した。車掌はここで交代。「あと6時間がんばってね」と言って降りていった。

 列車の揺れは心地よい。長時間の乗車で疲れも出てきたのかしばし眠りに落ち、気がつけば慶州だった。時間は午後4時。ここから仏国寺にかけては車窓から古墳などの遺跡が見られる。車内販売のビールなどを飲みながら過ごしていると午後5時に工業都市の蔚山に到着した。さらに南下し海雲台周辺では海沿いを走るので景色がいい。ただ残念ながら午後6時を過ぎ日没時間が近くほとんど海は見えなかった。

 清涼里を出発して12時間、列車はようやく終着の釜田駅に到着した。降り際には安東で交代した車掌も「12時間乗ってきたんだって? お疲れさま!」とねぎらってくれた。友人と2人チャガルチ市場で刺し身と焼酎で祝杯を挙げて旅は終わった。釜山での滞在は3時間ほどで、釜山発午後9時半のムグンファ号でソウルにとんぼ返りした。さすがに12時間かけて帰る気にはなれない。ムグンファ号の所要時間は6時間と往路の半分ほどだった。

 12時間かけて走るこの列車は現存せず、現在はムグンファ号が5時間40分で清涼里と釜田を結んでいる。KTXが京釜間を3時間ほどで走るいま、わざわざ12時間も列車に乗る人もいないだろうが、スピード時代だからこそ、ぜいたくに時間をかけて走る鈍行列車の存在が懐かしく思い出される。

初出:The Daily Korea News 2016年10月10日号 note掲載に当たり加筆・修正しました。

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