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木箱記者の韓国事件簿 第28回 延吉で会った崔さん

 中国と北朝鮮の国境地帯を訪れたことがある。2000年夏のこと。現在はソウルから中国吉林省の延吉までの直行便は4社が毎日飛ばしているが、当時は中国国内で乗り継ぐ必要があった。そこでソウルから大韓航空で瀋陽まで行き、そこで中国北方航空(現中国南方航空)に乗り継いで延吉まで行った。延吉での滞在は面白い事件が多く、いずれご紹介させていただくが、今回は帰途で出会った韓国人の思い出話をしたい。

 数日の延吉滞在を終え韓国に戻る日のこと。ホテルからタクシーで空港に向かったところ、走り始めて5分もしないうちに突然の豪雨に見舞われた。視界もほとんどなく、どうにか空港についたのだが、タクシーはターミナルビルには横付けできず、駐車場からターミナル入口まで全速力で30秒ほど走ったが、それだけで上から下までずぶ濡れになり靴の中までびちゃびちゃになるほどだった。

 カウンターでチェックインし、みやげ物屋などを冷やかしつつ搭乗ゲートへ進む。搭乗するのは18時10分発の瀋陽行き。瀋陽での乗り継ぎは翌朝9時の便になる。しかしこの豪雨により到着便に遅れが出ているらしく、それに合わせて出発予定時刻も1時間、また1時間と小刻みに遅れていった。21時を過ぎて瀋陽からの便が到着してホッとしたのも束の間、この便は私が乗る便ではなく、その次の便だという。私が乗る便はまだ到着していない。それでも22時には乗れるという。しかし残念ながら22時30分になり「瀋陽行きは欠航になりました」との案内が流れた。放送が終わるやいなや、搭乗客からは怒号が。乗客のほとんどが韓国から来た観光客。ここは中国だが韓国語が通じる地域だ。怒り狂う韓国人は空港職員に食ってかかる。空港職員は若い女性。「ホテルを用意してありますので、バスに乗って移動して下さい」と案内するが、怒りが収まらない韓国人は、「お前が責任者か? 責任者を呼べ!」と荒れ狂う。「私は空港職員でありどうすることもできません。航空会社から欠航の連絡が入ったのでそのように案内したのです」「ならば航空会社に連絡しろ!」「それはできません」「お前じゃ話にならん。責任者を呼べ!」群集に囲まれついには職員の女の子も泣きだす。仲裁に入る韓国人もいるが、騒ぎは収まらない。

 怒ったところで問題は解決しない。冷めた目で見つつも困っているのは私も同様。なにがどうなっているのかいまいち事態を把握できていない。とりあえず近くにいた温厚そうな50代くらいの韓国人男性に聞いてみると「大丈夫だろう。ホテルに行こう」とのこと。ここでの会話がきっかけでこの男性と翌朝まで行動をともにすることになる。男性は釜山で貿易業を営む崔さん。延吉には頻繁に訪れるという。

 バスに乗り込みホテルに着くころには既に日付も変わっていた。ホテルは2人1室という。流れでそのまま崔さんと同室になった。部屋に着くと崔さんは「お腹はすいてないか? なじみの店があるから食べに行こう」と誘ってくれた。ホテルからタクシーに乗り20分ほどのところにある食堂でビールを飲みながらお腹いっぱい食べた。ありがたいことに崔さんがすべてごちそうしてくれた。ほろ酔い気分でホテルに戻って爆睡し、目覚めたら朝だった。崔さんと一緒にホテルのレストランで朝食を取り、7時半に航空会社が手配したバスに乗って空港へ。8時発の飛行機ということだが、またも出発が遅れており、崔さんとロビー内の喫茶店で時間を潰し、どうにか10時半に延吉を出発した。1時間ほどで瀋陽に到着した。乗り継ぎの便は本来9時発だが、延吉からの客のほとんどがこの便に搭乗するため出発を遅らせているとのことで、搭乗手続きと出国手続きを速やかに行わなくてはならない。崔さんも同じ便なのだが席は離ればなれになってしまい、金浦空港到着後も会えなかったのでここで別れたのが最後となってしまった。名刺交換をしていたので帰国翌日に「無事に戻ったか? 食事くらいごちそうするから釜山に来ることがあれば電話しなさい」と連絡があった。残念ながらその後しばらく釜山に行く機会はなく、いつしか崔さんのことも忘れてしまった。

 そんな崔さんのことを思い出したのはつい先日のこと。名刺の整理をしていたら崔さんの名刺が出てきたのだ。いまさら延吉で世話になった日本人ですと連絡したところで覚えてはいないだろう。言葉の不自由はそれほど感じない延吉だったが想定外のトラブルで困っていた時に現地事情に明るい崔さんは心強い存在だった。もう連絡することはないだろうが、名刺は処分せず思い出として名刺入れに戻しておいた。

初出:The Daily Korea News 2017年2月6日号 note掲載に当たり加筆・修正しました。

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