さようなら

田中英光

「さようなら」とは、さようならなくてはならぬ故、お別れしますというだけの、敗北的な無常観に貫ぬかれた、いかにもあっさり死の世界を選ぶ、いままでの日本人らしい袂別な言葉だ。

「さようなら」の空しく白々しい語感には、惜別の二字が意味するだけのヒュウマニテも感じられぬ。

即わち自殺者と暗殺者が神の如く敬愛される、愚かな日本民族の持つ唯一の別離の言葉として、「さようなら」の浅薄なニヒリズムはいかにもふさわしい。

処で、ぼくは自分が、時代に傷つけられ、遣切れぬほど無知で不潔で図々しい日本人たちのひとりになってしまったと実感する故、生理的厭悪感でそうした事実に目をふさぎ、生命の尊厳さや愛する人たちへの責任感をしきりに忠告する自分の理性も無視し、一刻も早く、この人生に「さようなら」を告げたい。

「さようなら」神よ常に別れる汝の傍にあれでもなければ、また逢う日までなぞという甘美な願いも含まれていない虚無的な別離を意味する日本語。ぼくはそんな空しく白々しい別れの言葉だけが生れ残ってきた処に、この上なく日本の歴史と社会の貧しい哀しさを思うのである。

弱虫のぼくは醜く、恐ろしい死者に対決する勇気がなく、講談本の英雄豪傑の世界に逃げこむことで、震災という現実の恐怖を忘れたかったのだ。それは現在「宮本武蔵」を愛読し、敗戦の苦痛やインフレの恐怖なぞ忘れようとしているある種の日本民衆の心理に共通したものがあるのかも知れぬ。

池田は一番苦痛のない死に方を選び、大量の睡眠剤を飲んだ上、金盥に温湯を入れ、そこに動脈を切った手首を入れたものらしい。全身の血がしぼり出されたように、血は金盥を越え畳一面に染みていた。その代り白蝋のように血の気のない彼の死顔は放心した如くのどかにみえた。だがぼくは彼の死魚のような瞳の奥に、死への焦燥と恐怖を認め、やはり死体へのどうにもならぬ嫌悪があった。

いつか太陽も冷却し地球も亡び、人類も死に絶えると信ぜられる。結局、滅亡する運命の人類の為、ユウトピアを作ろうと犠牲になることは無意味である。即ち生きること自体が無意味と思われるから自分は死ぬ。

そのスラリとした長身に青白い童顔を微笑させ、ぼくの前に出てきて、「死んでしまった癖に、生きている世界を散歩してみるのも愉しいもんだよ。空の蒼さ。木の葉の青さ。花の紅さ。ピチピチした少女。ただ急がしそうな中年の勤め人。みんな生きているのには意味があるんだ。生きているというだけで死者の眼からは全て美しく見えるんだよ」と卒直な感想を語りそうな錯覚がする。

日本人の戦争道徳は(生きて帰ると思うなよ)である。出征の際、(また逢う日まで)を祈る別離の言葉なぞとんでもない。どうしても、(左様なる運命だからお別れします)の「さようなら」がいちばんふさわしい。その上、女のひとだと、「さようなら」に「御免下さい」をつけ加える。(そうした運命になったのをお許し下さい)と強権に対し更に卑屈に詫びているのである。まるで奴隷の言葉と呆れるより他はない。

「グッドバイ」の意味する如く、神を傍らに持たず、中国語の、さよなら「再見」の意味する、
愛する人たちとの再会の希望もない軍隊は、
相手の人間をいたずらに傷つけ殺し軽蔑し憎悪することで、
自分たちの高貴な人間性も不知不識に失なっていた。
ぼくたちは、中国兵の捕虜に自分たちの墓穴を掘らせてから、面白半分、
震える初年兵の刺突の目標とした。或いは雑役にこき使っていた中国の良民でさえ、
退屈に苦しむと、理由なく、ゴボウ剣で頭をぶち割ったり、その骨張った尻をクソを洩らすまで、
革バンドで紫色に叩きなぐった。
ぼくは山西省栄河県の雪に埋もれた城壁のもとに、素裸にされ鳥肌立った中年の中国人がひとり、
自分の掘った径二尺、深さ三尺ほどの墓穴の前にしゃがみこみ、両手を合せ、
「アイヤ。アイヤ」とぼくたちを拝み廻っていた光景を思い出す。
「それッ突かんかい、一思いにグッとやるんじゃ」
「えエッ。貸してみろ。ひとを殺すのはこうするんじゃ」と剣つき鉄砲を奪いとり、
細い血走った眼で、「クソッ。クソッ」出ッ歯から唾をとばして叫び、
ムリに立たせた中国人の腹に鈍い音を響かせ、その銃剣の先を五寸ほど、
とびかかるようにして二、三度つきとおした、中国人は声なく自分の下腹部を押え、
前の穴に転げ落ちる。

ぼくは鳥肌立ち、眼頭が熱くなり、嘔気がする。(さようなら。見知らぬ中国人よ、永久にさようなら)

顔を覗かせただけでも、下から吹きあげる冷たい烈風、底に無表情に横たわる水のない沼土までの遠さなぞに竦み上がる崖上から、十四、五の少年中国兵が鳥のような叫声をあげ、鳥のように舞い降りたのだ。幅僅か二間あまりの癖に眼くらむほど深い地隙には、絶えず底から烈風の湧く強い空気の抵抗があったから、少年の肉体は風に吹かれる落葉のように揺れながら落ち黒い点となり、眼下の褐色の沼土に吸いこまれていった。ぼくは彼のそうした死に方に、人間に飼われるのを拒否して自殺する若鷹に似た壮烈さを感じ、その黒い一点となった少年の後姿に心の中で、ただ「さようなら」を叫んだ。(そうなる運命なのだ。少年よ、仕方がない。では左様なら、御免なさい)

(ぼくの手がその青年を殺したのではなく、戦争という運命が、その青年を打ち倒した)との諦感からである。

フランス人たちは、戦争を天災に似た不可避の運命と信ぜず、ナチ占領下も不屈の抵抗運動を続けられたのだが、愛する人々との別れにも、「さようなら」としかいえぬ哀れな日本民族は、軍閥の独裁革命に対し、なんの抵抗もなし得なかった。

その為、ぼくたち日本の知識階級の未成年はお先真暗な虚無と絶望と諦めにおとし入れられていた。彼らの中にも狂信的な愛国主義者になり切ったものがいたが、そんな青年たちでさえ、助かる程度の戦傷を受けた際は勇ましく、「天皇陛下万歳」を叫び、瀕死の重傷の場合は弱々しく、「お母さん。さようなら」とだけ呟くのを眺め、ぼくには奇妙な笑いと怒りを同時に感ずる苦しさがあった。

前線の惨忍な厳しい雰囲気になじめず、見ている間に痩せおとろえ精神まで異常に衰弱していった。ぼくは終始、自分の後輩のような親愛感で行軍の時も岡田と並んで歩き、学生時代の楽しい追憶を、ヤキモチ焼きの髭ッ面の分隊長から、「煩さいぞッ」と呶鳴られるほど声高に語り止めなかったのが、段々、人を殺したり殺されたりの血腥ぐさい禁欲耐忍の日々が続く中、岡田がぼくに返事さえ云い渋るほど無口になってゆくのに気づいた。
二十貫近くの肉体が見る間に骨と皮だけになり、張切っていた特号の軍服もダブダブボロボロ、紅顔豊頬、みずみずしかった切長の黒瞳も、毛を毟られたシャモみたいな肌になり顴骨がとびだし、乾いた瞳に絶えず脅えた表情がよみとられた。
髭ッ面の分隊長は、「気合いを入れてやる」とそんな瞳の吊上った岡田を素裸にし、
古参上等兵とふたりで、掌や足の甲、両肩、下ッ腹を紫色に腫れ上るほど革バンドで叩き撲ってから、
近くの冷たい泥沼に追いこんだ。

ぼくたち兵隊は弱者への憎悪から反って面白がって見物していたのだ。

岡田は片端から兵器を棄てることで全身で戦争を拒絶したのであろう。
理由なく放火殺人傷害強盗強姦を行なう戦争こそ、常人の神経に堪えられぬ狂的行動であり、
それを拒否して気の狂った岡田とそれに堪え或いはそれを喜び、
それを拒絶した岡田に惨忍なリンチを加える分隊長たち、
更にそれを面白がって眺めていくぼくたちの中、誰が真の狂気であろうか。

岡田は口と鼻を血だらけにし、キリキリ舞いで、道路の真中の泥濘に大の字に倒れた。
「お母さん、さようなら」岡田は虫の鳴くようにそう呟き、そのままピクリとも動かなくなる。
赤紫に膨脹した左耳に毒々しい銀蠅が群がってたかりだした。
ぼくたちはそのまま岡田の死体を見棄て、行軍を続ける。

現在のぼくの心中に未だ尾を曳いていて。

子猫みたいにイタズラっぽく精力的なその顔は一面の雀斑で、化粧も棒紅が唇の外にはみだすほどグイとひく乱暴さだったが、外見ひ弱そうな肉体が裸になると撓やかで逞ましいのも好きだったし、常に濡れているような睫の長い黒瞳に情熱が溢れているのにも惹かれていた。

そのひとは娼婦と母性の本能を合せて持っているという点で、ぼくには憧がれの女性のように思われたのだ。

愛情の最高表現は片想い。

二十四歳のぼくの単純な虚栄、或いは偽善的な人間信頼から。

本当に謝まる必要があったのは、男性としてのエゴチズム、単純な虚栄なぞから。

胸の底には永遠の女性に憧がれる懸命な祈りまであったのが、気持の表面では、なにどんな女も似たり寄ったりで、結婚はくじびきみたいなもの、どうせ空しく亡びる自分の青春なら、いちばん貧しい娘に与えてやれと気短かに考え。

母性愛に娼婦の愛情を合せて持っているぼくの好きなタイプの女だった。

成熟した女の生理に童女の信頼を兼ねている処。

リエのぼくに対する爆発的献身的な愛情の裏側には、汚された女としての彼女の病的に強い自己愛が潜んでいるのもみせつけられて遣切れない気持にもなる。

よそ眼には退廃不潔にみえようとも、ぼくにはそんなリエとの別離の予感に、生命を燃焼させるほどの愛欲生活がギリシャの牧童の恋物語を想わせるほど美しくひたむきなものと思われた。

二つの愛するものの間で引裂かれる苦悩。

戦争を止めさせる努力をなに一つしなかったばかりか、中国の侵略にかりだされ、進んで快感にかられ中国兵を殺し、良民をいじめ、戦友たちを見殺しにしてきた当時にであろうか。肉親たちの別離さえ厭がり認めようとせず、亡父にさえ未だ「さようなら」を告げていないほど厳粛な死の世界を無視してきた為、ぼくは反対に生者の権利も知らぬものだろうか。或いは自己愛の強烈なばかりに妻子も愛人も惜別の予感がなくては、愛し続けられぬぼくのエゴチズムによるものだろうか。

「すでに生きた屍」と批評している。分裂症ははじめ世の中や他人に無関心になり、自分だけを愛する。

ぼくは今でもふいと耳に、ボレロの如き明るく野蛮な生命のリズムが鳴り響き、晴れて澄んだ初秋の午後、アカシアの花が白く咲き芳しく匂う河岸、青い川面に白いボオトを浮べ、自分の心や身体を吸いよせ、飽和した満足感で揺り動かし、忘我の陶酔に導いてくれる、そのひとを前にし、軽くオオルを動かしている幻想のよみがえる時がある。

(ではその日まで、さようなら。ぼくはどこかに必ず生きています。どんなに生きるということが、辛く遣切れぬ至難な事業であろうとも——。)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?