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確かめられない男

 この話は、一人の男がただただ確かめられないだけの内容である。


 それにしても、小綺麗とはこの事をいうのか。この商店街に最近できた、有名コーヒーチェーン。洒落た雰囲気と、洒落たコーヒーの種類、洒落た店員。正直な所入るという事ですら人間的なランクで選別されそれを生き残ったものだけが入店できるような、そんな洒落た雰囲気を醸し出していた。
 それでいうと、僕はその選別を生き残れない人間だろう。学校のクラスの端にいたし、大学でも大学生らしくいろんな旅行に行っていた訳でもないし、今の会社でも淡々と経理の仕事をこなしているだけ。間違いなく、このコーヒーショップには似付かわしくない人間だ。
 それでも僕がそこに行く理由。それは、単純にコーヒーが好きだから。いやコーヒーだけじゃない。席について、適度に静かな店内で本を読んで。コーヒーに伴う行動と空間が好きなのだ。それに僕はSサイズを頼まない。なぜならばできるだけ長くその空間に居ていたいから。となると、真新しい空間が出来たのならそこを満喫しない訳にはいかないのだ。だからこうして仕事が早く終わった日は、鞄にしまってある読みかけの小説を持って新たに商店街に現れた店に向かう。
 しかし僕の中で、入店直後はコーヒーショップにおける一番嫌な瞬間がいつも待っている。それは、『注文』だ。いつも不思議に思うのだが、なぜコーヒーショップの店はS、M、Lに統一しない?なんなら、僕たちは日本人だ。大中小でも良い。他にも、松竹梅。こんなのはどうだ、木、林、森。日本人らしいサイズの名称ならばいくらでもある。なのにだ。海外の風習に習ってなのか、訳のわからない名前ばかりでそれが世のコーヒーショップを跋扈している。それはとても腹立たしい事だ。だから僕は、SMLの店にしか今まで行ってこなかった。だがしかし、今宵僕はその禁忌を破る。ちょうど小腹も空いている。何か食べ物でも頼んでやろう。これは歴史的な快挙だ。初めて行くお店でコーヒー以外も頼む。この決心を固めると同時に店の前に到着すると、僕はついに入店した。

「いらっしゃいませ。店内ご利用ですか?」
 店の入り口で洒落た女性の店員が僕に話しかける。直視できない。
「はい。」
 しかし先ほどの質問は準備済みで、最初から店内と決めていたのでたとえ店員さんが見えていようと見えていまいと、応えは変わらなかった。問題は次だ。
「ご注文いかがなさいますか?」
 来た。戦闘開始だ。
「えーっと、ブレンドコーヒーのホットで。」
「サイズはいかがなさいますか?」
 ここだ。この瞬間、僕は即座にメニュー表を見る。サイズの名称はどこだ?どこにある?これさえ見つかればこっちのものだ。どこだ?飲み物エリアの一番下か?一番左上の端か?いやそれよりも何秒経った?後ろの人は並んでいるか?いや並んでいる。だめだ、即座に決めなくては。応えなければ。
「あ、えーっと、真ん中の、サイズで・・・。」
 最悪だ。これでは初心者丸出しだ。いやそうでもないか。逆に、これでもうサイズの難関は突破できたはずだ。
「あ、サイズは4段階あるので、真ん中となるとどちらになりますか?」
 突破できていなかった。僕は再びメニュー表を見る。なんて滑稽な様なのだろう。僕の黒目はきっと、通過電車を目で追っているかのような速度で動いている。しかし、それにしても見つからない。実はこのメニュー表にはサイズ名が書いてないのでは?
「真ん中のサイズ、トールとグランデが御座いますが。」
 見かねた店員が僕に優しく言ってくれた。いやしかし、問題は解決していない。僕はこの2択において小さい方を選ばなくてはならない。なぜならば、四段階中三段目のサイズとなると、流石にデカい!お腹がタプタプになると思われる!ではどうする?やる事は一つ。名称で推測するしかない。トール、は直訳で『高い』となる。高いのは、きっとコップの高さ。ではグランデは?おそらくはグランドに近い意味で、直訳はわからない。ただ、グランドピアノ。この単語から見えるグランデのイメージは、そう。大きい。なんて単純な名称なんだ。となると、大きいのはグランデ。・・・いや、違う。それで言うなら、『トール』は北欧神話の神の名前だ。トールは確か巨人族でとにかく大きかった。そういう意味では、実は
「お決まりでしょうか?」
 店員が待ちかねて再び聞いてきた。
 ここで僕は注文を決めている最中だという事を思い出した。店員にメニューを再び、聞かせてしまった。これは僕の失態だ。もう答えを出すしかない。
「じゃあ・・・グランデで。」
 後はもう神に祈るしかなかった。トールは偉大で巨大な神のはずだ。

「他にご注文ございますでしょうか?」
 問題はここからだった。僕は今、小腹が空いている。食事を頼みたい。なので今メニュー表を見ているのだが。何と呼びづらく冗長なメニュー名だろう。『森のバターと海のエビのたっぷり満足サンドイッチ』。森のバターはアボカド。何故言い換えている。海のエビって言ってるけど、陸にエビはいたっけ。たっぷり満足は余計だろう無駄にメニューが言いづらくなっている。『ハムとレタスの爽やかシャキッとサンドイッチ』『チーズとベーコンのベーグルサンド』『ケーキ』本当に色々あるのだが、何故この店のケーキはもっと着飾ってあげなかったのだろう。何故全裸のまま『ケーキ』という名前にしたのだろう。それは良いとして。
「以上でお決まりですか?」
 また店員に催促させてしまった。いや僕はここで決めるしかない。仕方なく僕は適当にフードメニューの一品を指さした。
「じゃ、じゃあこれで・・・。」
「はい、かしこまりました。」
 た、助かった・・・。何とか、コーヒーと食事の注文はクリアした。
 会計を済ませるとレシートをすぐに捨てしまった。
「ご注文のお品物できましたらお呼びしますので。」
 店員にそう告げられると、空いている席についた。注文カウンターに近く、若干落ち着かない感じもするが、左右両方空いている席はここしかなかった。後は待つだけか、と思っていた僕にさらに一つの問題が降り掛かった。
 ・・・・あれ、僕何頼んだっけ?忘れてしまった。いやぼーっとしていた訳ではないが、追い込まれて急かされて流れで注文してしまった。その感覚だけ残っている。まさか1分も経たないうちにもの忘れしてしまうとは。流れや何となくという決め方は、こんな恐ろしい事を起こしてしまうとは。
『僕何頼みましたっけ?』
 心の中で店員さんに話しかけてみたが、いやいや。実際に口に出せるわけがない!自分の注文も覚えてないなんて、と笑われるに決まっている!ではどうする?呼ばれるのを待つしかない。これは賭けだ。この店内で、僕意外にも呼ばれ待ちの人がいたら詰みだ。
 くそう、それにしても何故番号制を採用していない!番号制であればこんな思いはせずにすんだはずなのに!このように店への悪態をついていると、洒落た女性の店員が言った。
「コーヒーとクロックムッシュのお客様〜」
 きた!・・・これか?これなのか?いや。これじゃない気がする。なんかもっと長いメニュー名だった気がする。いやそれよりもレシートは・・・最悪だ。さっき捨ててしまった。
「・・・コーヒーとクロックムッシュのお客様〜!」
 洒落た女性の店員がもう一度言った。あれ?これ僕か?誰も取りに現れないということは僕なのか?いや思いだせ。メニューを言った時、どんな風に口を動かした?・・・最悪だ。注文の時、指をさしただけだ。
「・・・コーヒーとクロックムッシュのお客様ぁ〜!!」
 洒落た女性の店員がもう一度、先ほどより大きな声で言った。あれ、やっぱこれ俺に言ってる?女性はもう見るからにハキハキしてそうな性格なもので、どうにも『自分の注文ぐらい覚えておけよ!』と言わんばかりの声量だ。彼女の声にはそんな心の声が込められている気がする。となると、僕か?やっぱり僕なのか?いや僕じゃないのなら早く現れてくれ!本当の注文者!
「コーヒーと!クロックムッシュの!お客様ぁ〜!!」
 もうさっきと同じ洒落た女性の店員の声とは思えない。僕は振り返って店員の顔を見ることができなかった。・・・どうやら、やはり僕らしい。だが、奇跡を信じて後5秒待とう。5秒待って、注文者が現れなかったら、僕だったということで、受け取りに行こう。
 5、4、
「コーヒーと!クロックムッシュの!お客様ぁ〜!!」
 追加で言った。3、2、1。僕は立ち上がった。
 と、同時に一人の男がイヤホンを外しながら小走りでカウンターに来た。
 ・・・・・どうやら、僕ではなかったみたいだ。よかった。いやよかったのか?いやよくはない。僕は外から見ると『何でかよくわからないが急に立ち上がった男』だからだ。まあ、自分の注文じゃないのに取りに行ってしまうよりはマシだったが。
 ほんの少しだけ茫然としてると店員が、
「あ、お客様のもできてますよ。」
「あ、はい。」
 僕は、ゆっくり歩いてカウンターに行った。トレイには、『ハムとレタスの爽やかシャキッとサンドイッチ』とかなり大きめなコーヒーカップが置いてあった。

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