映画に望むもの(ドキュメンタリーと興業映画)

<映画に望むもの>
(ドキュメンタリーと興業映画)

 最近のFacebookのニュースラインは、映画「MINAMATA」に関連したもので、賑わっている。
私も、それなりの関心を持ってはいたので、それらの様々な意見をシェアした。
自分なりに知識として、持っていたかったことと、私のFBFやフォロアーにも話題提供したいと思ったから。

 それにユージンスミスの写真家、表現者としての生き方に強く惹かれるものがあるし、写真集も何冊か持っている。
そして、友人の中に水俣の問題に関わっている人も多い。
ドキュメンタリー映画監督、西山正啓さんにお誘いを受けて水俣に出向いて、当事者たちにお会いする機会もあったし、ピアノを演奏したりもした。

 そんなわけで、それなりの興味を持っていたのだけど、でも映画そのものは、まだ見ていない。
なので、映画「MINAMA」に関しては語るものは何もない。

 とはいえ、その映画に関する一連のコラムを読んだり、その反応を見たりしながら、私も、少しは映画制作に関わったものとして、感じたり考えたりするものがある。
その一つは「興業としての映画」と「ドキュメンタリーとしての映画」の違いだ。

 前出のドキュメンタリーの映画監督、西山正啓さんに音楽をいくつか提供させていただいたことがある。
「朋の時間」という神奈川県にある通所施設のドキュメンタリー映画には三曲新たに作曲したし、その他、米軍犯罪や水俣に関するドキュメンタリーにもCDから音楽を使用してもらった。

 その時感じたのは、監督は音楽を使うことに非常に慎重だったということ。
あるいは、迷っていたということもある。
つまり音楽というものは、映像に新たな、もしくは別個の意味付け、あるいは情動を呼び起こす。
いや、そのために映画音楽はある。

 だがドキュメンタリーの映像作品としての役割は、起きている真実をいかに伝えるかにあるのであって、音楽を使うことは常に過剰な意味付けの危険を孕んでいる。
ドキュメンタリーということに真摯な向き合い方をしている西山監督は、私の音楽に深い愛情を持ってくださいながら、使うことに大きな躊躇やジレンマをかかていたように思う。

 いや、映画という媒体自体のジレンマは、つまり真実を切り取り、繋ぎ合わせることで、実は真実から遠ざかってしまうこと。
あらゆる媒体は、その属性として、真実の本質は伝えられない。
にもかかわらずドキュメンタリー映画によって、伝えなければならない真実がある。
ドキュメンタリー映画監督という仕事は、使命感無くしてできない。

 もし監督が誠実で、真実に対し真摯に向き合った時、映像は実時間の流れそのものを映し出すしかない。
そのような映像作品を西山監督は作り続けている。

 さて、その対極にあるのは「興業としての映画」だ。
つまりエンターテイメント映画。
興業映画は、たとえ事実をもとにして、ドキュメンタリー的であっても、社会問題やその他、様々なテーマを背景に持っていても、目的は「興業」なのだ。

 映画によって描かれているものが、社会問題、政治問題、公害問題であっても、残留夫人の問題であっても、人間の心理的葛藤が描かれていようとも、それらを如何に深く洞察されていようとも、その目的は映画としてのリアリティを持たせ、観客をいかに惹きつけ、そして感動させ、泣かせるか、そして如何に興行成績を上がるか、それ以上でも以下でもない。

 はっきりいえば、映画は嘘をつく。
(この場合の「嘘」の意味は、映倫とは関係ありません。
映倫の倫理規定に背く映像は法律違反です。)
映画にリアリティを持たせるためなのか、よく「史実に基づいて」とか「実話を元にしている」などと但し書きがある。
観衆を惹きつけるための餌なのだということを私たちは忘れ気味だ。

 いや、それがたとえフィクションだと知っても、私たちはいつも感動の罠にはめられてしまう。
どうも、人間の共感力は、理性的にそれが作られた感動であることを承知で、簡単に泣かされてしまう動物らしい。
私も映像に作曲するとき、なんと自分で泣いてしまうことすらある。
感動させる為に作曲しながら、自分で泣いてしまうのは、多分わたしは「良い人?」なのだろう。www

 さて、では中間的な映像はないのだろうか?
真実を伝えなが、興業としても実現できている映画。
この映像の両極的な価値はトーレドオフなのだろうか?
真摯な映画監督なら、そのジレンマにいつも苛まれねばならないのかもしれない。
でも、たとえ苛まれていても、やはり「興業」なのだということを忘れた監督は生き残れない。

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昨日、今まで見たいと思いながら、なかなか見る気になれなかった「Uボート」とい戦争映画を見た。
ドイツ軍、敗戦間近の潜水艦内での心理的葛藤を、延々3時間にわたって描き続けたエンターテイメント映画だ。
この映画は、Uボートに乗り込んだジャーナリストの体験記をもとに、つまりドキュメンタリー的な脚本のもと、史実にはない出来事をおり混ぜたフィクション映画だ。
高い評価を得たこの映画を、ある映画フアンの寸評がめちゃ面白かった。
「こんな閉塞感ばかりで、エンターテイメント性が全くない映画を見せられて、うんざりだ。この映画のトラウマで、以後同じ時代の映画が見れなくなった、、、」www

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