その人らしく生きるって、、、

久々の呟き、、、
「その人らしい生き方って、、、」

結局「その人がその人らしく生きられる」のが、一番良いと思う。
今までは「その人の真実を生きる」と言う言い方をしていたけど、、、、
もちろんその二つは、別物じゃないけど、、、、

「真実」という言い方は、何か硬いよね。
それに「その人の真実」と言う言い方は、何か探究するみたいな強さを要求される。
誰もそんなに強くないし、、、www

どの人も、少なからず「生きにくさ」を抱えている。
みんな本当に大変なんだよ。
皆それぞれの事情を抱えて、なんとか生きている。
少しでも楽になりたいよね。

でも、なんて言うか、その生きにくい状況から、本当に抜け出そうとしてる人って、実はそんなに多くない。
よほど切羽詰まらないと、そこから抜けるモチベーション、ないんだよね。

別に怠けているとか、本当に苦しんでないとか、そう言うことを言いたいんじゃなくって、、、
人間って、そんなもんかもね、、、、

幸福論って、何か幸福効率論というか、幸福じゃなくてはいけないみたいな、、、、
それって、やはりなんか違うというか、、、

その人が、その人らしく生きていることが、外から見て幸福そうには見えなかったりする。
その人らしく生きていることが、或いはその人の真実を生きていることが、幸福かどうか、わからない。

例えば(いきなり例えが飛躍的だけど)ゴッホや宮沢賢治やモーツアルトが、幸福だったかどうかという議論がある。
そんなの本人にしかわからんでしょ〜〜

わかるのは、彼らはどうしょうもなくその様にしか生きるしかなかった言うこと、、、
彼らの生き方は、彼らが選んだと言うよりは、その様にしか生きられない、何かが(ここで言葉が詰まる、、、汗)、、、

私は別に、現状肯定していい、って言いたいんじゃない。
自分を変えたい、自己変革したいというモチベーションのもとで、頑張っている人たちは沢山いるし、私はそう言う人たちが大好きだ。
でも、結局さまざま勘違いの連続で、おやおや、と思うんだけど、その人のやり方、生き方なんだよね。

私自身もたくさん生きにくさを抱えていた。
そこから抜け出すために、自己変革するために、時間や労力や、お金も費やしてきた。
えらい遠回りもしてきた。
そして今、もう良いかな、と言うか、まあ、以前よりよほど楽になったからね。
さまざま手放していけてるのが、いいかな、、、

その人がその人らしい生き方を生きているのが一番いいね。
その時、それが幸福な状態かどうかはわからない。
或いは、その人の才能や、資質が開花した状態かどうかもわからない。

以前から思うけど、私から見るとすごい才能に恵まれているのに、それが表に出ずに終わってしまった人を私はたくさん知っている。
しかし、それも仕方がないことなんだと、今は思う。

私の音楽の原点になったあるベーシストは、最後は薬物で廃人になり、電車に撥ねられて死んでいった。
彼の音楽的才能は、あの時代の日本の音楽シーンには受けいられなかったし、彼もその音楽性を時代に合わせることができなかった。
パーソナリティーにも大きな問題を抱えていた。
とても不幸だよね。
でも、結局その様にしか生きられなかったんだよ。

今朝、そのベーシストが夢に出てきて、辛い夢だった。
彼の最後は、廃人になりながらも、音楽への執念や執着は鬼の様になっていた。
私はまだ深く彼のことを意識から拭えないのだろうと思った。
彼との邂逅無くして、今の私の音楽はありえない。
本当に本当に感謝している。

どこかのわかった風の言論人が、才能贈与論とかって書いてあったことを思い出した。
才能は天から贈与されたものだから、その才能を社会にお返しせねばならない、とかだったかな、、、
えらい勘違いだし、人間というものへの尊重がない。
さもわかった風な言論人って、世に溢れていて、うんざりだよ。www

さて、何が言いたいのかよくわからなくなってきたぞ、、www
まあ、結論はありません。
それぞれの生き方だから、、、
それぞれの生き方を、はい、私もようやく尊重できる様になってきた、ということかな、、、

どんなに遠回りに見えようとも、、、、、
どんなにその才能を活かせないでいようとも、、、、
どんなに歯痒く感じようとも、、、、
その人は、その様にしか生きれない、、、、
その事を深く信頼し、
寄り添っていたいと思う、、、、

ウォンウィンツァン
2021/06/23

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